6/20のしゅちょう 文は田島薫
(戦争を止める方法、について 6)
究極的には殺しあう必要のない人々がそれをしてる戦争は、続いてる限り
空しく双方の市民の命が失われ続けるわけなのだから、一刻も早く止める
のが一番のはずなのに、一度始まったそれを止めることがしにくいのは、
双方がそれぞれの正義をかざしてそれにこだわり、終わるなら勝利の時に
限る、それをあきらめて降伏するのは恥ずかしいことだ、って考えるから
なのだ、だれがと言えば、自分の命はとりあえず保証されてるリーダーと
そのとりまきたちがだ。
前線に出て次々に仲間が殺されてる兵士は、悲愴感持って討ち死にしても
いいと考えるかもしれないんだけど、祖国のために命を捧げるのは尊いこ
とだ、って感じてしまったのは、安全な場所からそれを仕掛けたリーダー
たちの暗示にかかってしまってるせいなのだ。
わが国でも、そういったリーダーたちが、今回のプ−チン大統領と同様に、
自分勝手な理屈をつけて中国へ侵攻した末、経済力や軍事力に余裕たっぷ
りの米国に、ほぼそれの底がついた状況なのになんとかなるんじゃねーの、
って軽率な判断で宣戦して、侵攻した各地で弾薬も食料もなしの兵隊が飢
え死にしたり、日本各地の都市に空爆されたりしてるのに、自分の身は守
ったままのリーダーが沖縄住民に投降を禁じたり自決を迫ったり、一億国
民総玉砕で行く、などと言い出したりで、原爆落とされて。
大体、侵攻されたウクライナの大統領が、まずその対応について国民の意
志を確認するのが必要で、侵攻されたら迎え打つのが当然、って決めつけ、
成人の男子に戦闘を強制する権利もないはずなのに、こういった状況にな
ると、それに反対する意見は自己規制もしてしまうのだろう。
ウクライナの大統領、徹底交戦、って言って欧米諸国に武器供与を求めて
るんだけど、交戦してる間の人命損失は無視してもいいのだろうか?とり
あえず、戦う武器も持ってないのに、徹底交戦などと言うのは乱暴だろう。
ロシアの侵攻は批判されるべきだろうけど、それについて国民の命を犠牲
にしてまで理を通そうとする前に、戦闘の不利を認めて、ロシアと停戦交
渉をするのがいいのであって、一歩も譲らない、ってリーダーが息巻いて
るだけなら、国民から戦いを止めてどんどん投降するのがいいのだ。
国民はとりあえず自分の命と生活を保証されることが最も基本必要条件な
のであって、戦争はその根底を無視するもんなのだから。
祖国を守る、って言う場合の祖国は命を失う危険性のある状態で言うのは
馬鹿げたずるいリーダーたちの作ったロマンチシズムなのだ。
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