5/9のしゅちょう
            文は田島薫

(コミュニケーションの基本、について)


私の家に地域ねこが4ひき住着くようになってから、地域の子どもたちが遊

びに来るようになったもんで庭を解放したら、子どもたちの間でのいざこざ

の仲裁のようなことやったりで、子どもとのコミュニケーションやってるう

ちに気がついたことがあったんで、それを紹介。

ねこたちもそうだけど、子どもたちとも話してると、それぞれ個性のちがい

に気がつくもんで、われわれ大人からみると、子どもは色々なことに未熟な

んだから、わが家の庭で遊んだりねこの世話を子どもがしたい場合にも、こ

ちらで決めたルールに従ってもらおう、って考えることには問題がないはず

で、それがスムーズに守られない場合には、注意や説教をすることになるん

だけど、その場合大事なのは、頭ごなしにいきなりそれをするんじゃなくて、

それが守れなかった子どもの言い分を十分に聞く、ってことなのだ。

じゃないと、子どもの方にはそのルールの理不尽さを感じていたり、その時

にそれを守れなかった状況なりの主張をする機会をもらえず不服を引きずる

ことになり、理解してもらえない大人に対しての不信感や軽視をさそうこと

にもなるのだ。

大体、こちらからの一方的説教をしてる時のような状況には、子どもの表情

が固くなってて、ぎこちなくうなずいたりわかった、って言ったり、子ども

によっては、わかったわかった、ってあからさまに小馬鹿にした態度を取る

者もいるんだけど、これは大人同士の年長者と年下のそれの場合にも同様の

状況があるから、これは子どもだから、ってなめてかかると、コミュニケー

ションそのものが失敗、ってことになるのだ。

大人にもそれぞれの言い分があるのと同じか、同じ以上に子どもには納得い

かないことが多いはずなのだ。

大人から見て、明らかに叱りつけられるべきけしからん行動をしたように見

える子どもにも、その行動の理由を聞いてやると、たいてい、表情が活き活

きしてくるのがわかるし、それを十分に吐露させた後で、その行動をした気

持を理解してあげた後、それでもそれが他人への迷惑になるようなことがあ

ればそれを指摘すると、案外素直に受け入れてくれるもんなのだ。

それに、場合によっては、子どもの言い分の中に、大人であるこちらがルー

ルの前提である約束を破ってたことに気づくようなこともあり、そんな場合

には子どもに大人であるこちらが謝ることも実際あった。




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