2/7のしゅちょう
            文は田島薫

(楽しさと苦しさ、について)


楽しいのと苦しいのとどっちが好きか聞かれて、苦しい方、って言う人はあ

んまりいないと思うし、だいたい大勢の人が楽しい方がいいに決ってるにし

ても、その楽しみは人それぞれで、ある人には苦しく辛いことが、別のある

人には楽しくて、ほっといてもどんどんやってしまう、ってこともあるわけ

で、なにか学問の勉強でもスポーツや楽器の練習でも、じぶんが好きなこと

をやるのがいいし、嫌いなことはやらない方がいいだろう。

とは言っても、好きなことだけやってては人は暮していけない、って意見も

多くあって、勉強嫌いでも大学は出ておいた方がいい、ってことで、いやい

や勉強やって大学出て大人になる人も多い。

勉強嫌いと言っても、なんとか興味のあるもんがみつかれば少しは楽しいか

もしれないし、それをやってるうちに楽しさも増して来る場合もありそうだ

から、あまり早めに好き嫌いをじぶんで断定しない方がいいんだろう。

で、そういった中でやってることがより楽しくなる時は、多分、周囲の人々

よりそれを知ったり身につけたりしてることを自覚できる場合かもしれない。

今行われてる冬期オリンピックでも、出場して入賞したり予選落ちした選手

たちのだれもが4年間の練習が苦しかったはずなんで、実際に、辛かった、

って言う選手も多いようだけど、練習によってじぶんが向上してる、って自

覚がその苦しさを乗り越えてそれを続ける動機になってるんだろう。

苦しさを抜きにして楽しさだけを求めたら、練習やらないのがいいかもしれ

ないけど、それじゃ出場さえもできない一般観衆と同じことになってしまう

わけで、苦しい練習してきた選手たちの演技を、いいのわるいの言って楽し

む観衆と選手たちの楽しさはだいぶ質が違いそうだ。

多分、なにかを一途に頑張って来て、目に見えるものではなくてもなんらか

の成果を自覚できた人の達成感のようなものは、なにもそういった苦しい練

習のようなことはしないで楽に楽に生きて来た人には持てないかもしれない。

とは言うものの、なにもやって来なかったように見える人でも、しらぬまに

なにか頑張っちゃったことがあったかもしれないし、そういったものが一切

ない人はつまらない人生だ、とも言い切れないわけで、楽しいことだけやっ

て来て、死ぬ時に、あ〜面白かった、って言えたならそれも幸せかも。




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