1/4のしゅちょう
            文は田島薫

(アンバランス世界、について)


わが国はどんどん経済格差が進んで、大きくわけると、なんでも不自由なく

買える富裕層と、食費さえ切り詰める貧困層に2分されてるわけで、それで

も、わが国は極貧のホームレスでさえ、海外の紛争国の難民の生活よりはな

んとかなって、どこかに求めさえすれば餓死することはないはずで。

それはなぜかって言えば、食料でも衣料でも家屋でもわが国では昨今、人口

分の何倍も余ってて、まだ食える食品やら、着れる衣服やら、住める住宅や

らを日々、廃棄したり放置したり壊したりしてるわけで、海外の物資不足で

命の危険に瀕してる人々のことを考えてみれば、そういった過剰な物資はそ

ういう人々の元へ送られるのがいいはずだし、国内ではもっとものを修理し

たりして大事に使い、深夜まで過剰な労働に従事しては無駄なものを作る、

っていうようなことを考えなおして、労働者の労働時間を短縮して、余裕

のある暮しをさせた方がいいに決ってるんだけど、それは国全体でそうい

った労働環境を整備しないことには、今の過剰に忙しく働く労働者と、仕

事をしたいのに、充分な仕事を与えられないで経済的にひっ迫する失業者

や、過剰に働いているのに、生活ぎりぎりの賃金しかもらえない労働者が

いる今の状況を変えることは難しいのだ。

とにかく、本気でワークシェアリングを政治主導で進める必要があるのに、

それが一向に進まないのは、悪しき自由主義がはびこってるせいなのだ。

貧困は個々の責任だ、などと言って、当人の努力もあったのかもしれない

けど、たまたま恵まれた環境で育って成功した層が上から目線で言ったと

しても、努力しようにもどうにもならない家庭環境というものがあって、

例えば、今問題にされつつある、ヤングケアラー、病気の親などの世話を

する子どもも全体の1割もいる現実があるのだから。

そういった底辺で大変な目にあってる人々を福祉政策で救うべきだ、って

言うと、それは社会主義だ、って非難するのは、大抵前述の恵まれた環境

やたまたまの成功をした人々の主張なんであって、そういう連中は自分の

ための蓄財を桁外れに拡大しては、そのほんの一部を貧民に寄付でもして

満足してる(もちろん、だれだってじぶんや家族が一番大事で、全財産を

寄付することはできないのだし、まったく寄付などしないしすべてじぶん

のためにしか金を使わない金持たちよりはましばかりか、貧民が1000人

する寄付よりも巨額をするわけだし、じぶんのためにしか金を使わないも

のも使った金は相手に利益を与えてるわけだから、無駄というわけではな

い)一方、自分が貧民層なのにそのなけなしのものをだれかに与えてしま

う人もいるわけで、私はそういう人たちを尊敬しながら、じぶんではでき

ないわけで、じぶんは身を削らずに、政治で、そのアンバランスをなんと

かできないか、ってただ遠吠えしてるわけなんだけど。




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