9/27のしゅちょう
            文は田島薫

(子どものいじめ、について)


きのうテレビを見てたら偶然、いじめについてのその体験者であるお笑

い芸人の独白をやってて、芸を観た時の印象では神経の太い挫折なんか

無縁のキャラクターに見えた当人が中学ぐらいまでいじめられて苦しん

でた、って言うギャップに途中からだったけど最後まで観てしまった。

私自身も、その頃、ぼーっとしてるのに内気な性格だったせいかからか

う者が何人かいたことを憶えてるけど、あまり相手をせずにほっといた

り、少ししつこい時はちょっと抵抗をしてみせたりしてたらさほどのい

じめまでは発展しなかったんだけど、なんとなくそのいじめる側の気分

を理解したり不思議に思ったりしてた経験が、後に心理学的なものに興

味を持ってそういった本を買って読んだり、伊丹十三さんと岸田秀さん

の心理学雑誌、「モノンクル」を創刊から廃刊まで読んだりさせた理由

のひとつだったのかもしれない。で、そんな私からの総括。

まず、大人にくらべ子どもは経験が少ないもんなので、じぶんを責める

者がいるとすぐに傷ついてしまうために例えば同級生の中では飛び抜け

た行動をして批判されることを恐れて、他の者とできるだけ同じ行動を

したり、考えや発言を合わせたりする傾向があるのだ。

それでも飛び抜けた行動して人気者になる者もいる代わりに、その世代

に共通する遊びやら流行とずれたように見える異質な対象は、ばかにし

てもいいもの、って短絡的に感じてしまいからかいが始るのだ。

それでからかわれた者は、抵抗して過激な暴力まで発展することを恐れ、

だまって困ったままでいるか、いっしょに笑ってばかにされる立場に甘

んじるかのどっちかを選びがちなんだろう。

そうすると、からかう側はからかいの効果を実感するわけだし、じぶん

たちはただ楽しく笑ってればいい、ってことになり、からかわれる側だ

って笑ってる風に見えるし、って相手の苦しみは想像できないのだ。

教師の方も、そういう状況を見ても、ただふざけあってるだけだろう、

って軽く考えてしまいがちなのだけど、そういう場合は、からかわれる

側の気持をしっかり聞いたり受け止めて、からかう側の卑怯さや不当性

を子どもたちに理解させなくちゃいけないのだ。

じぶんの頭でモノを考える習慣がつかないまま知識だけ詰め込まれるわ

が国の教育環境にも問題があって、いい大人になってもセクハラやパワ

ハラといったいじめが絶えない原因にもなってるのだ。


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