(遊び心、について)
人生は暇つぶし、とか、遊びをせんとや生まれける、とか、先達たちが、
言ってるのに、子どもたちは親たちに、遊んでばかりいないで勉強しなさ
い、って言われっぱなしだったり、大人になっても、あの人はふらふら遊
んでばかりいて不真面目でいけない、って非難されたりして、どうも、遊
びよりも、なにか勉強なり仕事なりに打ち込むことが人として理想的にい
いことのように人々の多くは思ってるようだ。
たしかに、世の中の人々の全員が遊んでるだけだと、生活に必要な物資も
足りなくなってだれもが生きて行くことが難しくなるだろうから、仕事や
最低限の勉強は必要、ってことには違いないだろう。
ただ、人生の大事な部分を前述の先達の言葉で考えると、遊びが本体であ
り、勉強や仕事はそれの手段、ってことになり、遊びを充実させるために
勉強や仕事があるのだ、ってことになる。
ところが、現代では、なんだか子どもたちはあんまり遊びをさせてもらえ
ないでいつも勉強させられてたり、大人たちはやっぱり遊びよりも朝から
晩まで仕事をやるのがいいことのように思われてる感が。
もっとも、勉強も仕事も自分が好きでやりたいもので、やめろ、って言わ
れてもやっちゃっうし、つまらない遊びなんかやってるよりも、ずっと楽
しいのだ、って言う人は、その勉強も仕事も多分遊びと同じもので、それ
ならそれを好きなだけどんどんやればいいわけで。
問題は、ほんとはそんな勉強も仕事もやりたくないんだけど、生きるため
に仕方なく辛抱してやってるだけだ、ってことになると、本末転倒、って
状況なんで、できるだけなんとかして人生を楽しくする方がいい。
って言うと、中には、人生は苦しくてもいいのだ、って言う人も出てきて、
人生は元々苦しいもんで、それを我慢して生き抜くことに意義があるのだ、
って言ったりして。そういうことを言ったり実行してる人は、その苦しい、
ってことに耐えてる自分に満足を感じるタイプで、いわゆるマゾヒスト、
かもしれないけど、それでいい、って人はそれなりに屈折した楽しみを感
じてるのだろうからほっておいてもいいけど。
大人の日常における哲学を考えてる山田ズーニーさんによると、人が岐路
や決断で悩んだ時には、他人の思惑は無視して自分の心が楽しく思える方
向を選ぶのが、自分の芯や力になって行く、って最近わかった、って。 |