7/26のしゅちょう
            文は田島薫

(科学の進歩と自然破壊、について)


きのう、経済優先の物質文明消費社会に疑問を持った若者が大自然の中で

一人暮らしを試みる実話に基づいた「イントゥーザワイルド」って映画を

観たんだけど、アラスカでみつけた廃バスで暮し、動物を猟銃で殺して、

食って生きようとするも、暑さで肉の処理保存がうまくいかなかったり、

川が氾濫して孤立した中、獲物がいなくて飢餓の中、食った野草が毒だっ

たりの悲劇になる。

物質豊富な社会で、その物質欲を拡大する人々の生活を、もっと自然と共

存した質素でもゆったり心豊かなものにしたい、って感想を持つ人々が地

方へ移住したりする傾向は従来からあるようだけど、そういった人々を取

材したテレビ番組もけっこう見てみると、映画の若者のように全く手ぶら

同然からそれをやろうとしてる人はほとんどいなくて、リタイアして充分

な年金をもらってる元公務員や中堅企業の会社員みたいなのが多いわけで、

全く金もなくて、ただ同然で借りて切り開いた畑などで自給自足、って人

も中にはいるようだけど、それでも、最低限生活に必要なインフラと食料

の確保は欠かしてはいないのだ。

映画の若者も当初、親からもらった金は全額寄付したり燃やしたりしてた

んだけど、後に必要となると、農家を手伝ったりのアルバイトもしてた。

野生の中で現代人がいきなり原始人のような生活を始めるのは無謀な面が

多々あることが、若者にも実感されつつあったはずで、自然破壊の進んだ

中で、たとえば世界中のだれもが原始的生活をすることはできないだろう

し、それでもそういった方向に世界の形を戻して行こう、ってことはでき

るかもしれないけど、はたして、ただ原始的なものがすべていいのか、っ

て問題は残るわけで。

便利な電化製品や自動車がなくても生活は可能かもしれないけど、便利な

それによって、一日の大半の時間を費やす過剰な労働を省いたり、飢える

人をなくすような大量の食料供給や保存、病人を救う医療対応などもでき

る利点は否定できないわけで、科学進歩の全否定は難しそうなのだ。

けっきょく、便利なモノの開発がもたらす恩恵と、それと引き換えに失う

元々享受できたはずの人々の幸福といったものや、それに伴う自然破壊を

どこで折り合いをつけるか、ってことをよく考える必要があるのだろう。

人間性をどんどん消失して、わけのわからない物質欲求サイクルの中で無

反省に働き続けてるうちに、自然破壊による温暖化による異常気象の連発

やら、原発や核ミサイルなどの事故やら、核廃棄物の増大やら、突発的戦

争やらが起きるようじゃ、進歩が本末転倒ということになるんだから、一

旦は原始生活をわれわれは再評価してみるのがいいのかも。


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