7/19のしゅちょう
            文は田島薫

(つきあいたい友人、について)


コロナ禍で、友人たちともなかなか会えない日々が続いてるんだけど、私

は元々友人が多い方でもないし、そういったつき合いも積極的にやってる

方ではないし、そういった渇望に苦しんでる、ってこともない。

とは言え、友人と言うほどのつき合いじゃない周囲の心優しい人々や、数

少ない友人たちの存在はいつもじぶんの意識の中にあって、何か見聞きし

たり感じたりする時に、だれかのことを思い出し、もしその場にいたらし

そうな反応を想像したりする。

折りに触れ思い出す友人たちは複数いて、その何人かはもう数十年会って

ない者や、すでに亡くなった者もいる。

だから私にとって、常に会ってなくては心が落ち着かない、って友人はい

ないのかもしれないんだけど、たまに会って楽しく酒を酌み交わしたい、

って友人は何人かいる。

じゃ、そういう友人はどんなタイプか、って言うと、やっぱり、共通の趣

味があったり、笑いのセンスが共通してて、なにかの小話にいっしょに大

笑いできる、ってのもいい。

その他は、年令がいくら高くなっても、自分のこれまで培った教養や能力

を、何かの折りにこちらの質問への応えとして謙虚に語るのは歓迎だけど、

自己満足して問わず語りに決まりきった事ばかり言うようなのはおもしろ

くないし、若者を見ればさっそく認識不足の者と決めつけて説教しちゃう

ようなのも見苦しい、って言いながら、私もどっかで知らずにやっちゃっ

てたかもしれない自戒もあったりで、気をつけたいもんで。

どういう人間に魅力を感じるか、って私自身が考えると、私が追求したい

分野で、お、いいな、って私が感じて、なおかつ、当人はその成果を最終

のものと考えてなくてもっと先を先をと追求してるアーチストで、たとえ

ば、もう亡くなってるけどピカソやマイルス・デヴィスのような人。

友人も、いつも何かを追求してる姿勢があって、常になにかを発見しちゃ

感動してて、その感動を伝えてくれたり、共感し合えたり、感動といった

大げさなもんでなくても、なんでもない発見に驚く謙虚で柔軟な心がある

のがつきあうのに楽しい相手で、物事すべてに達観してて、言葉のキャッ

チボールじゃなくて一方的な講議になっちゃうのは、先生かもしれないけ

ど、友人としてつきあうのは難しい。


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