きょうのしゅちょう
            文は田島薫

(認知症、について)


普通に仕事や常識的な行動をしてた人がある時から、奇妙な言動や行動を

起こすと、認知症の疑いが出て来たと判断されやすいと思うんだけど、私

のように子どもの頃から、他の子どもの輪に入らずただぼーっと突っ立っ

てたり、休みの日に登校しちゃったり言われたことを忘れちゃったり、と

いった、勘違いやもの忘れや奇妙なことを言ったりしてても、日常生活で

他人にどうにもならないような迷惑をかけてなければ、一応集団の一員と

して認めてもらえて、ちょっと知恵の遅れた変な子、で済んでたりしたの

かもしれないし、年になっても普通ならあれ?ボケちゃったかな、って思

われるところを、あ〜、この人は元々そういう人だ、って済んでそう。

だから、若い頃から、なんでもきっちりちゃんとこなして来た人よりも、

私のようにずっといーかげんでやって来た人は、そういった面では断然有

利(?)なのかもしれない。

年を取れば、体力と同時に頭脳の働きも少し衰えるのは自然のことなんだ

から、ふいに今までなかったような思い違いが起きたとしても、さほど慌

てる必要はないはずなのだ。

学者や知識人で家事類をこなすセンスが全くない人や、電車のキップの買

い方も分からない、って人なんかもいる、って話だけど、人がその場面だ

け見たら認知症に見えるかもしれないし、だれだったか一線で仕事をして

る紳士は電車の網棚にのせた自分のカバンの意識が薄くなってたようで、

発車真際に、そのカバン取ってくれ、って言った男にそれを渡して、カバ

ン持った男が電車から下りた後で気がついた、って話もあった。

人間の体は、年を取ったらそれなり省エネ機能が働いて、どうでもいいこ

とは忘れるようにできてるのだし、必要なことに関してはだれでも、割に

しっかり対処してるもんのようだから過剰な心配は不要なのだ。

現に私の場合、命にかかわることに関してはなんでも慎重にしてたつもり

で、バイクに乗ってた何十年の間の安全確認や安全運転もそうで、交通事

故は一度もなかったし、今でも道路を自転車や歩行する時にはそれをして

て、その件でのボケのようなことは今までのところないし、病気で死なな

いために、栄養バランスや運動についても調べたり実行したりしてるし。

で、極限すると、命にかかわること以外はけっきょく大事なことはほとん

どないわけで、それでも仮に心身に病気が出て、日常生活に支障がでちゃ

ってだれかの助けを必要とするようなことになって、物忘れや勘違いも増

えたとしても、感謝の心さえ忘れなければ支援してもらえるはずだし。


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