8/3のしゅちょう
            文は田島薫

(不幸な人々、について 2)


人が幸福を感じるのは、衣食住に不足がなく健康な心身で毎日心穏やかに自

分の気持ちに沿った生活を送れる、って状態だろう。

先日テレビを見てたら、フードバンクのNPO活動をずっとやってる人が出て

て、それを利用して食料を受け取ってる人がその地区でも何十何百軒もいて、

その1人の若い女性は子どもを2人ぐらい抱えた母子家庭で、子どもに、米

が残り少ないんでご飯のお代りは控えて、って言う時が辛い、って言ってて、

私などはしょっちゅう、健康のためには栄養のバランスが大事だ、などとほ

ざいてるのがナンセンスなぐらい、切迫した事情の家庭がわが国にもたくさ

んありそうなのだ。

日本国憲法ではすべての国民に健康で文化的な生活が最低限保証されている

わけだから、基本的に不幸な人はいないはずなのに、現実には不幸そうな人

が多くいるのはどういうわけだ、って考えると、格差社会の底辺で、子ども

の教育にかかわる道具類の、たとえばランドセルとか制服とか、非正規雇用

などで低所得の家庭には過酷なほどの高額請求を受ける出費で、食費を削り

不十分な栄養バランスの食事を続けながら、そんな少ない収入を補おうと無

理な過剰労働をして体をこわしたりして、貧しさの悪循環になる家庭も多い

んだろう。

所得に関しては格差社会がまだまだ放置されたままのわが国で、子どもを育

てるのに金銭的負担は大変なもんだろう、教育費の無料化は進んでるようだ

けど、道具類は自己負担が多いようで、収入は格差あるのに、買わなくちゃ

ならないものの支出は高額所得者と平等、っていうのも、アンバランスだろ

うし、子どものランドセルやら制服やらを売ってる企業のどんどんエスカレ

ートしてった価格設定はもっと考えるべきだろう。

もちろん、同一労働同一賃金制度も必要だ。

しかし、現状で低所得者ができるだけ幸福に過ごすには、優先順位をまず、

食生活の充実にして、道具類は新品にこだわらず、リサイクル品やだれかに

お古もらうのもみんなでふつうのことになるといいんだけど。私の子ども時

代はだれも気にしないし、その頃のお古にはほんとのボロもあった。

世の中、知らずに世間の風潮に合わせることだけで安心する傾向があるらし

く、高所得者では、逆な意味で衣食にこだわらないで、たとえば片時も離れ

ずでモニターの株の値動きを追って食事はカップめんだけ、みたいのもいた

から、これで病気になり早死にしたらやっぱり不幸では、と。


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