7/27のしゅちょう 文は田島薫
(不幸な人々、について)
世界じゅうが新型コロナ感染の死の恐怖に包まれてる、とも言えるし、世界
で数十万人の死者が出てる、と言っても、世界の人口比で言えば、死ぬのは
1万人に1人なんだから心配無用じゃないか、とも言えるわけで、できるだ
けストレスなしに楽しく暮すには心配せずに平静に暮す方がいいはずなんだ
けど、死者がひと桁少ない時点でも大変だ、って世間は騒いでたのに、今や、
ふつうに旅行してもいいんじゃないか、ってぐらいのムードになってる一方
死んだり、重症化で死の苦しみと戦ってる人も現状でいるわけで、その人々
だって、感染する前は自分の身にそんなことが起るとは思ってなかった人が
多いようなのだ。
コロナ死の確率を考えると、4ヶ月前より10倍の確率であり、それが今も増
え続けてるわけだし、もう何桁か上がる可能性もあるわけだし、人の集まる
病院や小劇場や酒場などの密室的空間ではその場所を利用することだけで感
染確率が何桁か上がるわけで、それに連れて高齢者なら死の確率も多分また
ひと桁ぐらい上がるのだから、知らずにその当事者になってしまうことも多
いにありうるわけで、世界や国内や都内といった枠での感染確率に自分は大
丈夫だろう、って安心は禁物で、徹底した注意が必要なのだ。
しかし、注意しててもそういった感染やら死の苦しみの立場になった人々は
ほんとに地獄にいる気分だろう、今この瞬間にも、そういう立場の人がいる
んだ、ってことを忘れないで、まず、自分の身にもなって気をつけるし、医
療体制や、休業によって経済的危機になってる中小零細、個人事業の人々へ
の支援政策の不足や、平時でも劣悪な労働条件の非正規雇用などの問題点改
善について政府へ意見を示すことも、国民に必要な主体性なのだ。
政府が勝手に作った泥縄法案やら様々な宣言などに、踊らされてるばっかり
の国民じゃ、不幸な人々が減ったりすることはなかなか難しいのだ。