映画だ〜い好き 文は福原まゆみ
尾形映画プロデューサーの友人が仕切る映画制作会社で働く映画好き女史が
エッセーを連載してくれてます。
映画女史、映画通ばかりか制作の主要スタッフでもあるようです。
時代劇の脚本
劇映画の脚本を書いている。地方が舞台の時代劇だから、かなり下調べをしなくてはな
らないし、言葉の問題に結構苦労する。入力も案外大変で、例えば「御禁制ば解くっと
でしょうか」と入力しようとしても「御禁制場徳っとでしょうか」と変換されてしまう。
現代の標準語なら、普通一発でOKとなるだろうに…。変換のし直しという作業が増え
るのは、Word=便利と思い込んでいる脳ミソには相当なストレスだ。「え〜い、手書き
の方が楽じゃないかっ!」と思ってしまう(そんな訳ないのだけど…)。
恥を晒すようだが、時代劇は沢山観てきたはずなのに岡っ引きと同心の違いすら知らず、
拷問にかける判断を誰がするのかも、調べてみて初めて知った。あぁ情けない。一体私
は時代劇の何を観ていたのだろう。綿密な調査をして書いている脚本家の方々に申し訳
ない気持ちで一杯だ。
今回のプロジェクトで長編は3本目。短編は5本ぐらい書いただろうか。書き終えた後、
プロデューサーのチェックを受けるのだけど、人によっては全面書き換えになる事もあ
る。そうなるともはや私の脚本とは言えないから、モチベーションをキープするのが大
変だ。逆に「金を出して口を出さない」と言う方もいて有難いが、その分こちらの責任
も重くなる。とか何とか言っても、実際には現場で変更され、編集段階でも変わってく
るのだから、100%書いたとおりになる事など皆無と言っていいだろう。脚本家が自分
で監督したくなる気持ち、わかるなぁ。
私の書く脚本は、演出の部分まで書き込んでいるといつも指摘される。監督や役者に嫌
がられるし、脚本が長くなる原因でもあるからやめろと。実は脚本と演出の境目を、私
はよくわかっていない。困ったものだと友人に相談したところ、「脚本の書き方なんて
千差万別、好きなように書けばいいんですよ」と言ってくれた。つまり何の答えにもな
らず、私は未だに脚本と演出の境目がわからないまま、今日も演出部分まで書き込んで
いる。そのうち脚本の依頼は無くなってしまうかもしれないなぁ。
今抱えているプロジェクトが一段落したら、短編映画を自分でやりたいように作ってみ
よう。誰にも受けない自己満足映画になる可能性大だけど、8oフィルムでやるぞ!