(違和感ある人づきあいの面白さ、について)
友だちづきあいでは、気が合った者同士が集まって、そうじゃない連中とは距離
を置く、っていうのが一般的だし、私自身だって親しくつきあってる仲間は気が
合ってる、ってことは間違いないんだろうけど、気が合う、って言っても人格が
違う別々の人間なんで何から何まですべて合う、ってことはなかなか難しいこと
で、こういうところはやだな、って感じるものはお互いにいくつも持ち合わせて
るに違いないわけで、それでもつき合える、って言うのは主要な部分でやはり気
が合う、ってことなんだろう。
それでも、やはりやな部分ばっかりがエスカレートするように感じる相手とは疎
遠になって行くことも多いはずだけど、それでもつき合いが続いてる場合や、逆
に、すごく気が合ってる、って感じてたのに疎遠になってしまうこともある。
それはそれぞれの生活環境や位置的な条件などで、会いやすいかそうでないか、
共通の趣味のようなものがあって会うと楽しい、ってことがあれば続くことも。
それでも、やな部分を厳格に気にする者は気にしない者より、関係が薄くなりが
ちになるだろう。
私自身の場合で言うと、若い時にはよく大酒飲んで言いたいこと言ったり踊った
りしてた(酒乱か)せいか、反感を買って殴られたり嫌われたりしたことはよく
あって、自分はあまり他人から好感を持たれるタイプじゃない、って自覚を持っ
てるもんで、他人の欠点についても、あまり気にしない方だと思う。
気にしないどころか、欠点あるのは自分の方もだ、って感じるから、それでも私
とつき合ってくれる態度の人間はみんな仲間に感じるのだ。
謹厳実直で、批判をして私を嫌う相手よりも、その相手自身に欠点があってもつ
き合ってくれる者の方がその欠点さえ私はおもしろく感じるのだ。
そうは言っても、他人に嫌われることが好きなわけじゃないんで、嫌われる時に
はどうして嫌われるのかは一応いつも考えることは続けてきて、そりゃ、もっと
もだな自分もそっちの立場だったら嫌うかも、ってことについてはできるだけ直
してきたつもりだけど、全部が直ってるはずはないわけで。
相手のやなとこについても、こりゃかんべんしてくれ、ってことについては直接
当人に感想を言うことにしてたら、私の友人たちは不愉快な部分はほぼ見えなく
なり、それでもそれぞれの勝手で「非常識な表現」を楽しむことができるように
なったし、多分、相手も自分にそう感じてるはずなのだ。 |