9/30のしゅちょう
            文は田島薫

(孤独の力、について)


今の若者たちのスマフォを介した友だち付き合いのやり方なんかを見聞きしてると、

毎日頻繁に予定調和的な他愛ない言葉のやり取りをして終始して安心してるだけ、っ

てように見えるんだけど、多分情報過多の環境に加え学業やバイトその他で、私の若

い時より時間の余裕がない者が多いせいもあるんだろうと思う。

で、一旦「ライン」などの通信によるコミュニケーションを始めちゃうと、反応遅れ

などが批判の原因になったりして、それに時間を縛られるようなことになるわけで、

情報産業で働く私の義理のオイなどは職場仲間全員がやってる「ライン」の参加を拒

否してるそうで、1人変人的に見られてるらしいんだけど、全くそれを気にしてない、

って彼に私も共感するところがある。

そういったもんに時間を裂いてるだけの者は、けっきょく1人ぼっちでいることが耐

えられないような傾向があって、それをそういったもんで癒してるだけなのだ。

そういったコミュニケーションがすべて無意味だとは思わないんだけど、あまり気軽

すぎるやりとりの集積だけで大半の時間を使ってるんだと空しいもんがあるわけで、

SNSなどやってて、たとえ、よく知らない外国人からのあいさつなんかあった場合に

も、応えるならきちんと応えたいし、それに切りがないなら、その旨がわかるように

表現して応えないで統一、ってことでいいんだと思う。

いずれにしてもSNSは、自分の時間をどの程度裂いて、どの程度の表現で応える、っ

て最低限の段取りは必要になるだろうし、バランスを欠いた反応は他人への誤解やら

反感を相互に起こす危険があるんでなかなか手強いツールなのだ多分。だから人々は

いつも本能的当たり障りない表現に落ち着いてしまうんだろう。

とは言うものの、ある程度気心が知れた相手との常の反応も期待しない気まぐれな独

断的で断続的な発言が許される関係なら非常に快適なツールでもあるわけで。

で、私はSNSについて言いたかったわけでなくて、逆にそんな余計な時間を人恋しさ

の解消のようなことに使うよりも大事なのは、1人孤独の中で何か自分の思いやら趣

向やら問題意識やらを追求する時間だろう、そうして得た自分だけの思いやら技術や

らでも表現した時に、お〜、こいつはこ〜ゆ〜こと思ってるやつなのか、って存在が

おもしろく見えてくるのだし、ってような当り前のことを言いたかったのだ。

先日のラグビー日本チーム、まず勝てないだろう、ってほとんどの国民が思ってたん

じゃないか、ってランク1〜2位のアイルランド相手に勝利したのは、チームだけど、

(多分個々のレベルでも孤独な)死ぬほどした練習の成果だ、って言うし。

ただのにわかサポータ同士で同じ日本人だ、って喜びあうのも楽でいいんだけど、君

は何者なんだ、って聞かれた時に、ただのラグビー日本チームにわかサポータです、

ってことだけじゃつまらないし、明日になれば君の存在も忘れられちゃうかも。


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