きょうのしゅちょう
            文は田島薫

(衆愚な人々、について)


人はだれでも子供から大人になる過程での受けた教育やら、過ごした環境の影響に

よってそれぞれの価値観ができるわけで、それは時代によっても、国や地域の自然

や人工物の多少やらそれから導かれた生活習慣によっても違いが出るんだけど、と

りあえず、わが国の場合で見てみると、消費経済の効率といったものが第一の価値

とばかりに、子供時代からそういった社会に適応できる人材育成の詰め込み教育一

筋で大勢が動き続けてて、その価値観から外れた意識を持った者たちは、落ちこぼ

れて行くダメな人々、って見られることが多々あるようで、実際、そういった層は

社会的経済的に不遇な生活をしている者が大半かもしれないんだけど、ほんの一部

の優秀な者たちは、逆に桁違いの成功を治めてたりもする。

でも、もっと大半の層は社会全体の流れに乗って逆らわずに順応してがんばってる

人々であることは違いないわけで、それが一概に悪い、と言うことはできないはず

なんだけど、その人々の発想の基本は省エネ、ってことなわけだから、あまり余計

なことを考えて波風を立てて自分の不利益になることはしたくない、ってことにな

り、みんなと同じことをしてればいい、って、何か流行ってる、って情報を知れば

自分も、っていつもそういった大勢と同じことを始めたりやり続けてるうちに、あ

る時、自分は衆愚のひとりだ、って気づくこともあるのだ。

気づいても、じゃ、すぐにそこから脱してみよう、って考えて実行できる者は希で

それができるなら、とっくにやってるはずだし、それによる経済的社会的な立場を

ダメにするリスクを回避するために見て見ぬふりをしたり考えないようにしてきた

こともあるわけなのだし。

高価な邸宅や車や有名ブランドの時計や衣服を買い高級レストランで料理を食い、

海外旅行なんかへもどんどん行って高級ホテルに泊まるのを理想的な生活環境目標

にしてる人も多いのかもしれないし、分相応にと、手近にメディアで紹介された観

光スポットやグルメなレストランに行ってみたい、って考えてる人たちも多いよう

なのが、私の感想では他にもっとやることないのか、って思えるような、話題の店

の前の長い行列や休日ごとの道路の新車たちの長い行列なんかを見ればわかる。

みんなと同じことやってても自分なりにそれを心から楽しんでるんであれば、それ

が悪いことのわけはないんだけど、例えば、それをやってる人が世界に自分とごく

わずかの者だったとしても楽しめるかどうかを考えてみるのもいい。

そういった趣味の世界はどっちに転んでもどうでもいい、と言えばいいんだけど、

例えば、そういった思考の傾向が世界の不遇な人々をもっと苦しめる結果になる、

って場合にそれを知った時、そこからどう主体的に立場を組み換えて行くことがで

きるかどうかが、最終的には個人の人生の価値を決めることになるはずなのだ。


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