5/20のしゅちょう
            文は田島薫

(日本のエリート教育の失敗、について)


先日、北方領土返還に向けての交流訪問団に参加した若い議員が、訪問団長に、返

還には戦争が必要なのでは?って迫った、って話で世間を呆れさせたんだけど、酒

の席でもあり(?)逆説的ブラックジョークとしてなら、わからないこともない気

がするものの、平和解決に尽力してる団体に対してにもかかわらず、どうも以前か

らの言動から見て本音の吐露だったようなんで、こりゃ、そうとう頭脳の働きのレ

ベルが低い人間に違いない、って思ってたら、当人、東大卒のエリートらしい、っ

てことなんでちょっと驚いた。

昨今の安倍政権下でそんなエリートの役人たちによる不正忖度行動の連発などを見

て来れば、政治に関わっても、主体性を持って高い志をつら抜くよりも、自分が反

対して冷遇を受けるようなことにならないように例え、法律違反になるような事柄

でもばれないようにうまく上司の要望に対応して行く、ってことを優先するのが、

そういったエリートたちの本質のようだ、ってわかってくれば、そんな馬鹿発言も

党内のそういった空気を素朴に反映した結果なのかも、って驚きもさほどのことも

なくて、だんだんそのエリート意識の不毛さに幻滅する一方なのだ。

私が子供の頃に東京大学、って聞けば眼の眩むほど優秀な人々が世界じゅうの人々

の暮らしをよくしたり、平和に貢献するための学問に励むところなんだ、て思って

たのが、この頃じゃ、そういう人々はいてもごく一部で、それぞれが自身の高い身

分と所得を得てそれを守り抜くことが一義の目的に集まる人々の方がかなり多くい

る場所、ってなことになってるようだ。

教育ママも受験高校も塾も、とにかく他人よりも受験知識を詰め込んで勝ち抜き、

一流大学から一流企業や省庁へ入り出世して行くのが人生の成功だ、ってことに、

大勢の子供たちがそれを目指し、子供らしい遊びや青年らしい恋や悩みやらの事柄

は不要なことだ、ってなしのまま突っ走った結果、膨大な些末な知識は得たものの

人間として一番大事なものが抜けた、エリート、ってロボットができるのだ。

一番大事なもの、ってなんなんだ、って言うなら、それは、地球で生きる世界じゅ

うの様々な立場の人間と心を通じ合える共感力、ってもんなのだ。

これは、勉強だけやってきて、挫折も失恋も人々の哀しみも知らず、誉められてば

かりの自己過信でやってきた者には身につかないものなのだ。


戻る