4/8のしゅちょう
            文は田島薫

(天皇の謝罪要求、について)


韓国の国会議長が慰安婦問題について、天皇が一言謝ってくれれば解決する、って

発言したことに、政府一丸になって怒りの反発をしてて、調子に乗って、韓国大使

などを帰国させた方がいいなどと言い出す大臣までいて、それらをそのまま同調し

て同じ怒りを表明してる一般庶民もけっこういるようなんだけど、こういった軽率

な(日本側が、だ)感情論は今日最もさけるべき態度なのだ。

安倍自民党政府の政治力を表面上で評価するなら、こういった庶民の馬鹿げたプラ

イドをくすぐる表現を尊大な態度でできる神経で、ひょっとすると、わが国は他国

よりも正論を言う偉い国なのかもしれない、って思わせる技はありそうで。

今や象徴とされてる天皇であっても、わが国の国民がそれを敬うことは悪いことで

あるはずはないにしても、例えば韓国の国民にとってのその地位はかつて多大な被

害をもたらした加害者側のリーダーである、って事実は否定できないわけで、それ

に対して、つつましい表現でその謝罪を提案したことが、とんでもない、ってこと

には感じるはずはないのだ。私と同様に日本国民の中にもそれに違和感を感じない

層も多いはずだし。

それなのに、そのつつましい提案に対して、なんだと、天皇に対して失礼きわまり

ないけしからんことだ、って言ってしまえば、もう、すでに、日本は韓国より上の

立場なのだ、って威張ってることになるのだ。

ここ数年ことあるごとに表現される安倍自民党のこう言った態度が、かつていくら

戦後賠償やら謝罪の言葉やらをくり返してても、その度、韓国国民の感情を振り出

しに戻してしまうわけで、これだと、この先も永遠の謝罪と開き直りのくり返し、

といった悪循環か、叉はどっかでどっちかの堪忍袋が破ける危険も。

謝罪、ってものはきちんと真心を込めなければ意味はゼロなんだ、ってことを安倍

自民党は自覚すべきなんであって、韓国国会議長の発言の「天皇」は、喩えであり、

謙虚に心を整え、それを伝えて欲しい、と安倍政権に言ってるだけなのだ。

こういった問題では双方の対立を煽るような過激な発言が庶民の中からも出勝ちだ

けれど、だいたい一般庶民ってものは感情論にも気軽に同調発言するもんで、実際

には多くの観光客や芸術文化の親善交流は盛り上がっているわけで、その一方でこ

ういったわが国の政治家たちの頑なで危険な感情論が野放しになってる状況を国民

はきっちり監視し批判するべきだろう。


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