●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、宇宙の眼でじぶんたちを眺めてみました。
通夜の月
近所のおばあさんが亡くなり、お通夜に行こうと喪服を着てバッグの中を点検している
と、チャイムがなった。出ると、
「一緒に行きましょうよ」
と、隣の奥さんの声だった。
私は慌てて、コートを羽織り玄関の外に出た。
真冬の夕方6時近く、すっかりあたりは暗くなっている。外気の冷たさに思わず肩をす
くめ、ストールをしてこなかったことを悔やんだ。
隣の奥さんが指差して頓狂な声を出した。
「見て! 月! 大きい! まんまるよ」
見ると、出たばかりの満月が低く家の屋根のすぐ上でまるで電灯のように光っていた。
月は異様に大きいばかりで少しも美しくはなかった。
二人でちょっと立ち止まって月を眺める。
「月を見るなんて久しぶり。夜歩くのも悪くないわね」
隣の奥さんはのんきそうに言う。
それから、連れ立って近くにある葬義場へ向かっていると、最初の曲がり角で、やはり
黒づくめで顔見知りの女性に会った。
町内会の民生委員の方だった。
合流して、歩きながらこれから弔うの故人の話をした。
「○○さんも長いこと寝たきりで大変だったけど、娘さんがよく面倒をみていたわねえ」
亡くなったのは96才のおばあさんで10年以上も寝たきりだった。誰もが十分生きたと
いう納得の死で、もっぱら結婚もせず献身的に介護をしていた娘さんの話になった。
木立の多い公園の周りの道を回って、明るいバス通りを突っ切るとすぐ煌々と灯りの付
いた葬儀場があった。
受付を済ませて案内された会場に入ると、親戚筋の席から離れた末席にすでに近所の顔
見知りが5〜6人後ろの席に座っていた。
ほとんど女性。皆この町で歳を重ねた古い人たちで、故人にいろいろ世話になり、そし
て自分たちも老いて未亡人となった人たちだ。
読経が始まり、しめやかに葬儀は進み、お焼香を済ませると親族の方を残して、別部屋
で精進落としの料理を囲んだ。
女たちは、病気の話、町内会のうわさ、ペットの話など屈託なくおしゃべりしながら食
べている。
亡くなったのは身内ではなく他人。でも今度死ぬのは自分かもしれない、そんな感慨も
頭の隅にあるけれど、とりあえずそんな考えは脇に置いて、今という時間を大事にする。
日頃孤独な女たちにとっては、生きている実感を確認し合う良い機会なのだ。
頃合い時にみんなで斎場を後にしたのだが、帰り道も同じ方向なので、女たちのおしゃ
べりはやまない。
月を見ると、少しだけ高くなっていた。
日が沈めば、月が昇る、そして明日はまたやってくる。
そうやって、永遠に月日は続くのだ。
月からみれば、人の生き死になんてありふれた出来事で、忌み事も祝い事も関係なく、
ただ見る者の感情を静かに受け止めているだけなのである。
一体、月は、自分はいつかはこの世から消えると自覚して生きていく人間を強いなあ、
と思っているだろうか。