(忖度の罪、について)
大学ラグビー、女子レスリング、女子体操と、コーチや管理する理事などの専制的
パワハラの問題がここんとこ立続けに話題になってるんだけど、どれも、長い間、
そういったことが続けられてたのを周囲は知っていて問題視していたのにもかかわ
らず、騒ぎ立てても自分の利益にならない、ってような自己保身のためか黙認し続
けてたのが、ここへ来てそれが一般メディアからも派手に見えるようなことが起き
て問題にされたことで、黙ってた選手も声を上げた、ってことなんだろう。
そういった状況が露呈した後も当の理事たちはいずれも、それについての自分らの
落ち度については全く自覚がない模様で、自分らの行動はすべてその関わってる選
手たちがオリンピックなどでの成果を上げるためにやってることで、私利私欲では
全くないのだ、って主張する。
多分、そう言ってるその権力を行使してる理事当人の気持は、多分本当なんだろう。
しかし、人ってものはだれでもたいていは、物事を自分に都合のいいように考えて
しまうもんで、こう言ってる私だってそうだし、無意識にしてることについては自
覚がないのはある程度仕方ないことなのかもしれないのだ。
だもんで、世の中、そういった自己正当化した者同士の決着がつかない言い合いを
まとめるために、第三者である裁判所、ってものがあるのだ。
こう言った問題が長い間潜伏してしまうのは、周囲の者たちが権力者の意をあまり
に素早く忖度し合ってしまうような、ひょっとすると、和を尊ぶ日本人にありがち
な風潮が一番の原因なのかもしれない。
民主主義、ってものの中にまだ問題点もかかえ、まだ完成の域になかったとしても、
とりあえず、それによって世界の不遇だった人々が昔よりは多く救われているのは、
その各個人が自由に違った意見も言い合える、ってところが必要条件のはずなのだ、
ところが、わが国では、そこの部分が非常に軽んじられており、場合によっては、
上の者に意見することがとんでもない非常識だ、ってされる風潮もあるわけで、そ
うだとすると、わが国は民主主義の後進国、ってことになるのだ。
もっとも、できるだけ論争などでいがみ合わずに、少し自分が折れても平和的に暮
らす方がいいだろう、って考え方には一理ありそうなんだけど、それも結局はたま
りにたまった不満爆発、ってような事件もよく起きるし、平静に違った意見を言い
合い前向きに思考を続けられる大人になるのがわれわれ日本人の課題だろう。 |