(ロックとは何か考えること、について)
先日ロックバーを経営してる学生時代からの古い友人がわが家へ遊びに来たんで、今
気に入ってるミュージシャンは何?、などと聞くと、何何はよくて何何はだめだ、な
どと得意そうに断言して、私が気に入ってるバンドなどもきっぱりけなしたりするも
んで、いつも少々冗談のような気分で会話するんだけど、友人は、若者の裸で生の叫
びのようなもんにどうも惹かれるらしく、作りこんで調子がいいメジャーな人気バン
ドなどは嫌いなもんが多いようなんだけど、その気分は分からないでもない。
私だって、メジャーやマイナーにかかわらず好きなバンドや嫌いなバンドはあって、
けっきょく個々の好き好き、ってことでいいはずなのに、友人には、ロックである音
楽と、そうではない聞くに値しない音楽がきっちりある、って思ってるようなのだ。
そうなると、私は友人がそれの価値をわけるのはどういうものなんだろう、って素朴
に聞いてみたくなるのだ。憶えてないんだけど、それを私は実際に聞き、友人からは
それは言葉では表せない、ってような反応がかつてあったんだろう多分。
友人が好きだって言うロックバンドの映像を見るのをつきあってると、スマフォでツ
イッター検索にもマメな友人が、椎名林檎の「ロックを語る君の話はもうロックでは
ない」ってような言葉が気に入ってるらしく、それを(理屈屋の)私に向けるのにピ
ッタリのものだ、って何度も言いながら、うれしそうに家人に同意を求めている。
そのコメントはたしかに正論で、ロックについて語ることそのことがロックになる、
ってことはなかなか難しいことはだれにでもわかる当り前のことで、ハンバーグにつ
いて語る話がハンバーグそのものでないのと多分同じだろう。
ハンバーグは語るもんじゃなく食って味わうもんだし、ロックも語るもんではなく聴
いて感じるもんだから。
そうしたら、それぞれがそれぞれを黙って聴いて、感じたことを心の中にためて、他
人に伝えることをしなくていい、ってことになり、たしかにそれでもいいのかも。
ところがロックコンサートで大観衆がみんなで熱狂して一体感を感じてるのを、その
バンドなりを否定的に感じてる者にはただの馬鹿騒ぎにしか見えないかもしれない。
わけのわからない宗教のようにたがいを否定し合う、ってようなことになるよりも、
自分が今熱狂してる対象はどういう性質のものかをちゃんと歌詞も読み見極め、もし、
病的なものに惹かれるならその自分をよく見つめてみたり、その価値を信じてるのな
らそれをそれぞれ語リ合うのもいいことじゃないのかと私は思うんだけど。 |