2/6のしゅちょう 文は田島薫
(昼食時間の約束、について)
今回は、どうでもいいようなコミュニケーションの行き違いといったとても小さなテーマに
ついて、あえてぐたぐたと考察してみるつもりなんで、細かい下らないことにこだわるしつ
こくて心の小さいやつだ、って読むのを中止してもらってもかまわないです。
今回の日記にも書いたささいな出来事について、私の確信が断固と批判されたことがけっこ
う意外に感じたもんで、こういった個々の価値観の思い込みによる行き違い、ってよくあり
そうだ、って思い、しつこさに輪をかけて考えてみようと思ったのだ。
で、日記のメイが私と家人といっしょに昼飯を食べたいのでその時間に来る、ってだけの約
束をして、私が一方的に正午ぐらいには来るだろう、て思い込んでたところ、メイの方はほ
ぼ昼ごろに着けば問題ないだろう、って考えてたら到着予定を知らせなかったことを私から
非難されたことが心外に感じたようだった、って出来事。
これはたしかに、メイが言うように、あらかじめお互いに時間を取り決めておけば済んだ問
題だ、って言えばその通りだと私もそれにはその時同意したんだけど、それをしてなかった、
って前提でおたがいが行動した場合、仮に私がごちそうになる側だったとしたら、相手が正
午に食べられるように準備してるかもしれないから、それに遅れないようにすれば問題ない
はず、って私は考えるし、遅れそうな時はなるべく早く連絡したい。ところが、メイや家人
の方は、気になったら気になった方が連絡して確認しあえばいい問題で、ちょとぐらい食事
の時間がずれることはどうでもいい問題だ、って考えるようだ。
約束の時間を守る、って習慣は世界的な視野でみると日本人ぐらい厳粛なのはいなくて、数
時間ずれても気にしない国の人々もいるようだから、私のやり方が正しい、って言い切るこ
とはできないんだろう。私の考えの方が好きな人も多分いるだろうし、そんなの適当でいい
じゃないか、って人の方はひょっとすると、もっと大勢いるのかもしれない。
だから、私はその時にもその価値観の違いはある、って言った上で、自分の感じ方はこっち
だから、そうしてほしい、もしそういう感じ方に同意したくなくないならそれでもいい、っ
て言ったんだけど、人それぞれの価値観で相手を絶対否定はしたくないもんだ、って、思い
ながらついそっちに行ってしまいがちの私自身の気持をちょうど、今なんかしゅちょうで書
かなくちゃ、って時に、じゃ、ちょっと、って整理してみただけのことなんだけど。
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