11/28のしゅちょう
            文は田島薫

(簡単に自由を手に入れる方法、について


私はずっと、世界や社会の不公平についてクレームのようなことを、ここでただ並べていた、

って言って過言じゃない気がするんだけど、それで少しは世界に貢献できたか、って言えば、

心もとないわけで、けっきょく世界を改善していくのは個々の志に基づいた行動、ってこと

になるんだろう。口できれいごとを言うのはだれにでもできるんだけど、自分の身を削って

行動する、ってことはなかなか大変なエネルギーがいるわけで、そんな行動派の人々の発言

にこそ説得力があるのだし、われわれもできればなんらかの行動をしたいもんだ。

政治に不満があるなら、とりあえず政治参加の方法として、選挙時、納得する候補者に投票

する、ってことが手始めだろう。

職場で待遇に不満があるなら、仲間と集い経営側に交渉するのもいいだろう。業界的に需要

がなくなってるなら、それを拡大する方法を考えてみるのもいいだろう。それも無理なら、

需要の見込まれる業界に移ってみるのもいいかもしれないし、新たな職業訓練を始めてもい

いかもしれないし、それを支援する公的補助を調べて活用するのがいいだろう。

ところが、こういったふうなことを言うのもだれにでもできることで、じゃ、自分がその立

場だったら、それのどれかを始めるか、って言うと、それをやって必ずしも成功する、って

保証があるわけでもなく、苦労の末に失敗に終わる可能性もあるならとりあえず、今やって

る仕事を継続してるだけでなんとか食えるからいいか、ってことになる。

で、やっぱり、ほとんどの人々にとって社会構造の不平等にそれを変える手段は投票以外は、

しゅちょう書いたり飲み屋なんかで苦情を言い合う、ってことでなんとか腹をおさめるだけ、

世界は志ある行動者たちによって、ほんのわずかずつしか変わらないのかもしれない。

といったことで、おしまい、って言ってしまったら日々の生活が空しく思えてしまうわけで、

ここで、コペルニクス的転換。

われわれにとって、一番重要なことはなにか、って言えば、世界の不平等を是正することよ

り前に、日々の生活を充実感をもって楽しむこと、のはずなのだ。世界平和を求めて私生活

を犠牲にし日々苦闘して幸せを感じる者もいていいし立派なことだと思うけど、それはだれ

にでもできることではないわけで、日々楽しみながら、世界平和にも貢献できるならそっち

の道の方を選びたいだろう。おいおい、って反応も予期しつつ結論へ。

その方法は、自分の仕事がどんなに不遇にみえても、とりあえず好きなら、仕事を与えられ

たことに感謝して、その仕事をよりよいものにするように日々努力する、ってことだ。




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