10/17のしゅちょう
            文は田島薫

がんばらない方がいい、って場合について


人はがんばってください、って言葉を日常的なあいさつのように使ってたら、大震災など

で心に傷を負ってしまった人々にそれを言うのは酷だからと、がんばらないでください、

って言うのが流行ったり(?)してるんだけど、本来、人はほっといてもがんばる時には

がんばるし、がんばれない時にはがんばらないもんなのだ。相手の事情もよくわからない

のに、がんばれ、だとか、がんばるな、だとかは多分大きなお世話に違いない。

がんばれ、って言えばだれでも人はすぐにがんばって物事をいい方向へ持って行ける、っ

て期待感がそれをさせるんだろうけど、それでみんなうまく行くなら世話はないわけで、

やっぱり、がんばる気力が出ない状況の中でがんばれ、っていくら言われてもそうできな

い時はできないばかりか、逆効果も多いにありうるんで、がんばらせるには、当人が自ら

がんばりたい、って思えるような状況を作れればいいのだ。

しかし、自分がやりたいと望んだ職種で意欲を持ってがんばりたいと始めた仕事がその物

理的量の過剰さに心身が悲鳴を上げるなら、それはひとつの非常事態であり、その環境や

状況を変革する必要があるだろう。

最高頭脳が集まるはずの東大を卒業し、大企業である広告代理店の電通に入社してまだ2

年ほどの若い女子社員が月100時間余の残業の過剰な労働を強いられ自殺した。

彼女の勤めるセクションは人員がどんどん削減されたため仕事量が格段に増えたそうなん

だけど、われわれが普通に考えたら、それは会社側の経営責任であって、社員は労働基準

法で守られた以上の残業を強いられる義務はないのだから、余計な仕事は放棄して帰宅す

ればいいはずなのだ。でも、なかなかそれができないのは、職場の他の仲間ががんばって

いるのに、成果が見えないまま自分だけ逃げる、ってことを嫌う日本人特有かもしれない

責任感がそうさせるのだろう多分。

で、当人は会社に対してのレジスタンスを世間に知らしめようと、どっかで悲壮な決意を

したのかもしれないわけで、それだったら、会社側は重大なメッセージとして受け止める

べきもんのはずで、大改革が行われることを期待したいところだ。

こういった隠された過剰労働は経済効率重視の日本中で行われてる気配があり、老練な社

員であれば、要領よくそれを免れる手立てを知ってても、生真面目な若い社員はまっすぐ

に非効率のまま必死にがんばることが多いのだろう。

遅くてもよりいい仕事をする、ってことと早い時間でそこそこの仕事をする、ってことな

ら、前者の方がいいと考えて、マイペースでやるのがいいのだ、と私は思う。




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