1/18のしゅちょう 文は田島薫
(危機管理の基本、について)
夜行スキーバスが道からそれ14名が亡くなり、ツアー会社やバス会社の無理な経営体
制に非難が集中しているようで、そんなひどい会社に大切な命を奪われてしまった、
ってことで片づければ怒りの相手がはっきりしてわかりやすくていい、って考え方も
あるかもしれないんだけど、シートベルトをしろ、って指示もなかった、ってことだ
し、って、とは言うものの、シートベルトってもんは、指示があろうがなかろうが自
分で締めた方がいいんであって、それをしてれば死なないで済んだはずなのに、と思
えば、当人や遺族や関係者には残念な限りだろう。
危機管理、って言うのは、平常の時に未来の起る危険の可能性に対処するもののわけ
だから、多分大丈夫だろう、ってことではそれは成り立たないのだけど、だれでも、
たいていは、自分がそんな事故なんかに遭うことはほとんどありえない、って感じて
て、そんなことは、100万人にひとりぐらいの自分以外の極不運な人間にだけに起き
ることなのだ、ってように。
ところが、死ぬまで至らないけっこうなダメージのものを含めた交通事故の確率は自
分が思ってるほど低くなくて、安全意識の低い者だとか過酷な運転労働してる者なん
かだと同一人物が何度も交通事故の経験があったりするもんなのだ。ちょっとでも事
故の経験をした者はたいてい慎重すぎるほど慎重になるもんだけど、事故は起る時は
起るし人は死ぬ時は死ぬんだ、って「実際に大きな事故に遭うまで」は気にしない者
もいるのかもしれない。
交通事故などは、自分以外の要素からも起るわけだから自分がどんなに気をつけてて
も絶対に安全ってことはないわけで、ましてや、自分でできるはずの安全管理に少し
でも手を抜けば事故の確率は格段に上がってしまうのだ。
こういった危機管理は交通事故に限らず、健康維持や、政治などにも言えるわけで、
いつ死んでもかまわない、気ままが大事だからなりゆきで太く短く好きなようにやる
んだ、って主義の者はそれでいいんだろうけど、そうじゃないんならば、今、自分で
できる「あきらかによいこと」は早めに手を打つのが身のためなのだ。
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