8/24のしゅちょう
            文は田島薫

(人殺しについて)


夜中に外を出歩いていた少年少女がの中年男に殺された。連日報道され色々なコメント

が寄せられてて、逮捕された男はなぜそんなことをしたんだ、ってことなのに、当人が

黙秘を続けてることもあり情緒不安定な変質者、ってことで片付けられそうだ。

多分それでそれ程ずれた解釈にはならないんじゃないか、って思うんだけど、昔からこ

ういったなんだか原因のよくわからない殺人事件はあったにしても、わが国で最近続発

してるように見えるのには、社会状況も関係してるはずだ。

そんなこと言うと、多い、と言ったって殺人事件を起こすのは極一部の例外的人物なん

であって、われわれ一般の普通の人々とは無関係だ、って感想も一理ありそうだけど。

たしかに、私だってこれまでの人生で、他人への怒りから殺意を覚えたことも何度かあ

ったけど、それは一瞬のイメージだけの話で、実行する発想はないし、すぐに冷静に戻

れるんだけど、戻れないでそのまま突っ走っちゃう者も極一部いるのだ。

それは多分、生活環境と当人の精神状態によるのだ。怒りなどが実際の殺人にまで行か

ない大多数の人々は一応、人との拘わりではいつも穏やかで心地よい意思疎通ができる

場合ばかりじゃない、ってことをきちんと経験して認識してるとか、人に危害を与えた

時、与えられた方は心身共に苦痛を感じるんだ、ってことを知っていて、それに同情心

を感じる感性が機能してる、とか、仮にその統べてがおぼつかないとして、少なくとも、

そういうことをすると、警察に自分の身柄を拘束されたり死刑になったりもありうる、

とか、殺人者になれば身内すべての人々が不幸になる、って意識できること、といった

ことが欠落した状況、または死刑になってもいいや、って自暴自棄になった状況。

言わば自分の置かれた状況が、社会から疎外されてて、自分を社会が必要としてなくて、

自分を批判したり、馬鹿にしたり、自分を愛してくれる者もいなくて、自分でも自分の

存在意義を計りかねていて、仕事でも安給料で死ぬほどこき使われ罵倒もされてて、た

まの休日、思いきり羽を伸ばして自分の意のままに羽目をはずして、って。

そんなことを言って、そんな犯罪者を擁護するようなこと言う意味がどこにあるんだ、

そんなものは、ばかやろうなんだからさっさと死刑にすればいいだろう、って意見もあ

るだろうしそれにも一理あるかも。

しかし、人はだれでも私でもあなたでさえも、殺人を犯す可能性はゼロじゃない、って

ことなのだ。今はたまたま安定した環境にいるからそんなことは絶対にありえない、っ

て言えるんだけど、これが、例えば、戦争にでもなれば、戦時中そうだったように、も

う世の中、戦うことが一番の価値、ってことになり、敵を殺せ、って普通の人々がみん

なで言い出すのだ。そういう状況の中でも人を殺すことはいかん、ってことを曲げない

心が本物なんであって、たいていの人々は状況に負けがちなのだ、こんな平和な社会の

中で起きる殺人には、ひょっとすると当人にしかわからない個人的戦争状況があるのか

もしれないのだから、戦争反対、って言葉には社会や世界の歪みも戦争の芽と見るよう

な広義の意識を持って世界を見て、各種の不平等を無くして行くのがいいのだ。




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