2/9のしゅちょう
            文は田島薫

(戦争をなくす方法について 3)


先日の「イスラム国」による日本人人質殺害と今後の日本人をターゲットとした殺害予告

メッセージを受けたことに恐れおののいた外務省は、その後のシリアに取材渡航しようと

したフォトジャーナリストのパスポートを強制没収した。

国に国民の命を守る責任があるから、って理由だと言うんだけど、先日守れなかった反省

で、そうだ、イスラム国の近所へ行かせなければいいんだ、って短絡的に考えたんだろう。

危ない戦場にはできるだけ人を送らないで、自分の国の国民の安全を確保し、空から爆撃

することによって悪い敵の人命だけをよりたくさん奪おう、って発想の米国と共通するよ

うな考え方で、たしかに一理あるように見えるから、それを支持する者もいるだろう。

しかし、自分たちは安全な場所にいて、空爆の下で起ってる惨劇について見ないようにし

てればやがて平和が訪れる、ってもんだろうか。

「イスラム国」支配地区にも、逃げ遅れて意に反してそれに従っている人々も大勢いるは

ずで、そこの頭の上から無責任な量の爆弾浴びせてていいはずはないのだ。

「イスラム国」のテロ行為や殺害メッセージはそういった欧米側の自己本意戦略への怒り、

といったものだとしたら、そのメッセージに対して、テロ組織との交渉はしない、などと

いった敵視政策的メッセージをわが国はより強化してるようにしか見えないだろう。

たしかに「イスラム国」とのきちんとした認可を受けず地域に入り殺されたふたりの日本

人は無謀だったかもしれないけど、それによってその危険性は確認されたのだし、「イス

ラム国」にとっても、その日本人たちの存在は、敵対的とは違うもの、って印象を与えて

たはずで、彼らだってできれば殺さずに済ませたいって考えてたはずなのだ。だから、日

本政府にはいくらでもその命を救う手立てはあったはずだし、それを糸口に和平提案さえ

できたかもしれないのだ。

日本政府のやるべきことは「イスラム国」といえども悪と切り捨てて敵視するんではなく、

米国を含めたその戦闘そのものを止めること進行形の悲劇を止めることに重点を置くこと

なのだ、敵国の悪のせい、ってことでかたづけて成功する保証のない空爆によるせん滅作

戦のようなことを支持したり現地に民間人を送るのを禁止にしたりしてたら、難民支援や

積極的平和主義、って言葉さえ「イスラム国」への敵対アピールになるのだ。

そんなメッセージを野放しにして、危険なのは日本人がシリアに行くからじゃなくて、日

本人のだれもが「イスラム国」を敵視してる国民と見られるなら、世界中どこへ行っても

日本人にとってはテロの危険がある、ってことになるだろう。

「イスラム国」周辺では各国のジャーナリストが平和解決を夢みながら必死の取材を続け

てる、っていうのに、それを一番やれるはずだった日本人ジャーナリストがいなくなる、

ってことになるなら、安倍政権の平和政策は完敗、ってことなのだ。




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