7/28のしゅちょう             文は田島薫

(国民の命を守る、ってことについて 2


先日、朝まで生テレビの「集団的自衛権について」討論を録画したやつを飛ばし見したと

ころ、集団的自衛権必要はあたりまえだ、って相変わらず大興奮してわめく右傾ジャーナ

リストが出てて、ショー的には馬鹿馬鹿しくもおもしろかったんだけど、道義感に燃えた

らしい彼の心情に、意外に共感する国民もいるのかもしれないとも感じたのだった。

米国にはわが国の国民の命の危機に助けてもらうけど、米国国民のそれの時に、わが国は

助けてやらない、ってのはおかしいだろう、って言ってることについては。

これだけ聞くと、それは人間の道義に反することだ、って、じゃ、やっぱり、集団的自衛

権は必要、ってことでいいか、って、こういった短絡発想が悲劇の元であり、右傾軍国主

義者にとっては大義名分で、これを突破口にやりたい放題の戦争活動が正当化できるのだ。

助けられたらこちらも助ける、って言うのは、第三者の被害には目をつぶるような、言葉

だけの納得であって、偽善に満ちた手前勝手の軍隊物語のようなもんなのだ。

今、世界で一番問題なのは、平和と戦争、富と貧困の不均衡であり、それは少しづつ改善

の方向へ向かっているかもしれないんだけど、それを支えるのは、(軍事上での)助けら

れたら助ける、っていったような狭い意味の道義のようなもんではないのだ。

古今東西、あらゆる凄惨な戦争の当事者たちはそれぞれのこういった「狭い道義」を実行

していたのであって、こっちの軍にはこっちの恩義の関係があり、あっちの軍にはあっち

のそういった恩義の関係があったわけで、それによって、戦いが増えることがあっても、

なくなる保障にはならなかったのだ。

戦争をなくすのは、仮にも、こういった敵対発想を抜けた次元の思想によるのだ。

戦争を望まない米国国民が戦争に巻き込まれ、悲惨なめにあってたとしたら、その相手国

を日本が攻撃していっしょに戦争参加することではなくて、非戦の立場で戦争を止めるた

めに全力で交渉や活動することなのだ。普通の人々が本当に望むのは攻撃されて被害をう

けた敵に仕返しをすることより、平和そのものであるはずなのだから。

現に、パレスチナのガザでは罪のない市民がイスラエルによってどんどん殺されているの

に、じゃ、パレスチナに共感する国がイスラエルに対して代わりに攻撃してやろう、って

ことが正しい、ってことになるなら、戦争は拡大する一方だろうし、しかし、今は実質的

に被害が拡大してるのはパレスチナ側だけであって、一方的に攻撃されてるこの不平等に

対し、各国はイスラエルに非難決議したのに、唯一参加しなかったのが米国であり、そう

いう米国と軍事行動を共にするなら、世界平和への貢献が遠のくのは明らかだろう。

とりあえず核兵器を保持する米国と日本との軍事同盟の最大目的が世界平和貢献である、

ってことに確信すれば、助けられたら助けるのが、などといった言葉のレベルを超え、米

国を含めた世界に貢献できるのが、集団的自衛権など抜きの日本国平和憲法遵守なのだ。




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