3/3のしゅちょう             文は田島薫

国のため、って言葉について


先週ソチオリンピックにからんで、アスリートへの敬意について書いたんだけど、先

日のテレビバラエティで、私の文を読んでないらしい明治天皇の血を引く皇室の出だ、

って言う人あたりのよさそうなにこやかな人物が、オリンピックでメダルを逃した選

手の自由な発言にクレームをつけていた。

選手が、自分はメダルを取れなかったけど十分楽しんだ、って言った発言の、楽しん

だ、がいけない、って言うのだ。国の金の援助を受けて国の代表として出場したんだ

から、みなさんの期待にそえず取れなくて悔しいです、って言うべきで、負けたのに

楽しんだ、って言うようないい加減な気持ちで表現してほしくない、って。

こんなこと彼が初めて言った、って言うほどの独自な意見でもないし、当然のことだ、

って思う人もけっこういるんじゃないか、って私は思うんだけど、これは、国、って

なんだ?ってことをよく考えたことのない人共通の発想なのだ。

古今東西、国を構成する基礎は国民ひとりひとりの人格であって、権力を握ったひと

にぎりの人物が勝手に取り決めた「枠」ではないのだけれど、名君と呼ばれた以外の

全ての専政君主などが、国民を自作の枠に従わせる都合上、枠を、国といい、国のた

め、ってなんだか納得させるような言葉によって、国民の自由意志を聞いたりまとめ

たりする前にそれを封じたのだ。

表現の自由を保障する、ってことが現代の民主主義の大事な要素になってる意味は、

国民の自由意志の尊重と調整こそが国の基礎だ、ってことなのだ。

それなのに、はなから相手の事情も考慮せず、国のためにこうすべき、って上からの

指図のように人を動かそうとするのは時代錯誤、ってもんなのだ。

だいたい、オリンピックに出られるような世界レベルのアスリートに、緊張感持って

やれ、って言うことがどんないい効果をもたらす、って言うのだ、負けて悔しくない

選手はまずいないのだし、選手のプレイを十全に発揮するためにどれだけ「楽しむ」、

ってことが重要か、ってことは関係者から異口同音にどれだけ言われてることか。

楽しんだ、って選手が言えた、ってことは完全燃焼できた、ってことなのだ。

選手が国のためにがんばるように、なんてプレッシャーなしに自分のためにリラック

スしてプレイすることを徹底できれば自然に獲得メダルだって増えるはずなのだ。

ましてや、候補選手の練習場所さえ維持できないようなけちくさい援助金しか出さな

い政府関係者が、上の方から恩着せがましく、世話んなってる国のために緊張感持っ

てやれ、なんて言うほど馬鹿げた発言はないのだ。

これは、単にスポーツに関する話だけでなく、国民の意見も聞かずに独断先行で、自

虐史観を改める、って教科書づくりしたり、強い軍事力の国づくり目指したり、とい

った安倍政権もどうも同じような時代錯誤の発想で動いてるようだから、こういった

発想は馬鹿馬鹿しいだけでなく非常に危険なのだ。




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