2/3のしゅちょう             文は田島薫

幸福論について


ハーバード大学の先生が講議するテレビの番組で、幸福論のテーマでやっていたのが

おもしろかったんでその部分だけご紹介。

死ぬまぎわの人たちへのインタビュー、人生で一番後悔してることは?、って質問に、

1.気持ちをもっと伝えりゃよかった 1.自分が幸せんなることを許せばよかった 1.

他人の期待に応える人生じゃなく自分のため生きる勇気を持てばよかった 1.友人と

のつきあいを続けりゃよかった ってような、そりゃそうだろうな、って中に、1.あ

んなに働かなけりゃよかった、ってのがあって思わず笑った。

もう、これだけで、説明は不要なんだけど、ひょっとすると、何言ってやがんだ、働

く以上に価値あることがこの世にあるわけないじゃないか、って人もいるかもしれな

いんで、その人のためだけに蛇足的説明を加えたい、と。

働くことが価値を生む、ってことに私も異論はない。働くことによって、世の中にな

んらかの作用なりモノが生まれ、ごくたまに害になったりもするけどたいていは人の

ためになり、人はそれを信じて働き続けるんだろう。

あきらかに、不遇な人々の救済に従事している、って感じる人は多分その価値を実感

して幸福感も持つのだろう。

しかし、例えば、世の中になくてもいいようなモノを作ってる仕事の場合、自分が、

それをきわめることなどを好きで楽しんでればいいんだけど、ただ生活費のため、っ

てことで働く人は働くことそのものへの幸福感は薄いだろう。しかし、必要な金をか

せぐためにはやらざるおえないわけで、過酷な家族環境と低賃金雇用環境で働きづめ、

って人が、あんなに働かなけりゃよかった、って言うと餓死したかもしれない。

じゃ、これは、それほど働く必要はなかった、ってレベルの人たちにとってだけの話

なんだろう。じゃ、いい気な人たちのいい気な呑気話、って取ることもできるかもし

れない。ま、だとしたら、その範囲のけっこう多くの人々のためでもいいか、って、

ことで、けっきょく、だれでも、たいてい、なにが人生で一番価値があるかはわから

ないんだけど、一応、働いてれば自分や人のためになる、っておおよその確認がエス

カレートし、自己増殖して、必要もないのに働きづめして、限られた人生の貴重な時

間を浪費してしまい、死ぬまぎわにその失敗に気づく、ってことがあるから、働き過

ぎに気をつけよう、ってことなんだろう。




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