2/24のしゅちょう             文は田島薫

アスリートへの敬意について


冬期ソチオリンピックが終り、後はそれのパラリンピックが始まる。いずれにしても

それに出場するアスリートたちは国じゅうから選びぬかれた人たちで、もうそれに参

加してるだけで世界レベルの証、すごいことなのだ。

彼らは素質に加え、毎日どれくらいの苦しい練習を続けたんだろう。スポーツマンな

らたいていだれでも練習はするだろうけど、数字を出せるには並外れたそれが必要で、

来る日も来る日もそれに明け暮れたはずなのだし、戦う相手たちも同じようにそれを

してることもよく身にしみてるはずなのだ。

われわれ一般観客にも、それはわかってるはずなんだけど、多分わかってるレベルが

まだまだ低いのかもしれないのだ、ややもすると、気らくに、金メダル期待してます、

ってようなことをみんなで言ったり、サッカーなんかでも、絶対に負けられない戦い

だ、などと、選手本人が言うならいいんだけど、見てるだけの観客に過ぎないアナウ

ンサーなんかが叫んだり、って言うのを選手たちはどう感じるだろう。

多分、そんなに期待されても困るぜ、勝つか負けるかはやってみなけりゃわからない

もんなんだから、相手だってシロートじゃないんだし、困ったな、ここで、いや、そ

れは負ける場合もあります、って正直に言っちゃうと、みんなの気持ちを暗くさせち

ゃうから、とりあえず、ってことで、「できる力を精一杯出し切ってきます」ってア

スリートは一番妥当な応えをするんだけど、中には、思いきって「絶対取ってきます」

って言うアスリートもいる。で、呑気な聞き手の方は、もうそれで半分取った気にな

ちゃって、それでどっちも勢いでその通りになればめでたしめでたしなんだけど、そ

ういかない場合は落胆の嵐が巻き起こる。

精一杯やっても負ける時は負ける、その場合はああ、期待するほどは強くなかったの

かも、って感じるかもしれないし、転んだりすると、なんで転んじゃったんだ、って

つい、落胆の極みになったり。

ほんとうはだれでもわかってるのかもしれないんだけど、勝負は時の運だ、って、で

も転んじゃだめだろう、ってどっかで思うなら、それは思った人自身のせいかもしれ

ないのだ。だって、期待してるから実力以上の力を出してなんとしてでも勝ってくれ、

ってみんなが思ってたら、選手は勝敗の方に意識がいかざるおえなくなり、無心な自

然体でしか出せない力にゆがみが生じるのだ。

だから、勝敗の事はアスリートにメッセージしない方がいいのだ。おもいきりがんば

ってくださいぐらいでいいし、がんばって、って言葉もほんとは余計で、応援してま

す、ぐらいでいいんじゃないのか。

とにかくアスリートたちが、気持ちを自由に解放できるようにサポートするのが応援

者のするべきことで、余計なプレッシャーかけることではないのだ。ほっといても必

要なプレッシャーは当人が自分に与えてるはずなのだから。

で、その結果メダル圏外だったとしても、その世界的実力差は微々たる違いであって、

われわれが傲慢に、だめじゃないか、なんてほざくのは全く的はずれなことなのだ。




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