1/6のしゅちょう             文は田島薫

戦国物語の悲劇性について


先日、テレビでヒットしたらしい「のぼうの城」って戦国映画を観たんだけど、惚け

た風の城主が豊臣軍の城攻めに降伏する内通をしておいたのに、その場になって、気

を変え戦いを選ぶ、ふだんから気さくな城主を愛してた民衆はそれに従い、みんなで

奇策を使って戦い、けっこう戦果を上げたあげく、結局、元の計画通り開城、ってこ

とになる話。2万の兵に500の兵で立ち向かった、って一応戦い上の負けはなかった、

ってことで、いい話だ、ってことのようなんだけど、ハナから開城してれば、双方に

戦死者はなかったのに、惚け城主の気まぐれの悲劇、って見方もできそう。

NHKなんかでこれまで、何度もくりかえされる大河ドラマは、大体こういった、戦

国モノが多くて、これを、元々ただのドラマなんだけど、実際にあった歴史事実を再

現してるとなれば、そこになんらかの評価はあるべきなのに、一般視聴者のように、

そんな事実とは利害の全くない観客の立場で観てれば、いやいや、なかなかやるね、

大将、行け行け戦え、ってような感じで、主人公に感情移入して万事平和。主人公の

大将さえ無事ならめでたしめでたし、って感じで、その部下や一般庶民の犠牲にゃ、

知ったこっちゃない、って具合なのだ、実際だったら、そっち側の立場のくせして。

今だってコミックやパソコンゲームの主流は戦いモノで、本来そういったもんに人は

楽しみを覚えるもんのようなんだけど、それはやっぱり、あくまでも遊びの範疇で考

えるからであって、それが現実生活で自分の家族や身近な人々の命がもてあそばれる

状況をよしとする者はそんなに多くはないだろう。

ところが、とりあえず自分たちの生命に危険がない模様、って安心したら、なんだか、

おい、やるならやろう、戦え戦え、って思っちゃうのが庶民のようなのだ。

先年の戦争でも、具体的な深刻状況を知らずに、政府のお手盛り宣伝にすっかり乗せ

られ、やっちゃえやっちゃえ、って、庶民自ら煽っちゃった、て経緯があって、結果

とんでもない、地獄を見た、ってことなんだけど、それでも、それをなんとか回避し

た層や、直接遭遇しなかった連中は、今度はもっとうまく戦うか、なんて呑気に考え

てるのもいそうなのだ。

けっきょく、いつもその一番悲惨な渦中にいる人間たちの立場は歴史中の小さな声で

ありそのためかき消され、いつも大きな政治を動かす人間にとっては、それほど切実

な問題ではないような気配、けっきょく、戦争になっても、自分の安全はなんとかな

りそう、ってことで(実際はどうなのかはわからないにしても)で、実にゲームをや

てっるような軽い感覚に近いのかも。戦争をまず始めるそういった脳天気政権に知ら

ずに乗せられ、後で愛する人が死んだりで泣くのは脳天気庶民なのだ。




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