1/14のしゅちょう             文は田島薫

向上心について


芸能人やプロスポ−ツ選手などで長く人気を持続してる人は、それだけ天性の才能を

持ってるか、そのための努力を続けてる人なんだろう。それに、役者や噺家なら、年

を重ね芸を磨くほど深い味わいのいい仕事をすることで人気を持続どころか増大させ

ることもあるだろう。

一方、若い時に異常なほどの人気を得た後、年を重ねるほどにマスメディアから消え

て行く人はけっこう多そうだけど、これも当然のことで、若い頃はただ若さと美貌だ

けでもけっこう若い熱狂的ファンがつくようなんだけど、だんだん、観る方も観られ

る方もおっさんおばさんになって行けば、観てるだけで満足、ってわけにはいかなく

なり、それなりの才気ある芸も必要となるわけなのだ。それがわかり、まだ自分の能

力をその世界で試したい、って望む者は努力を始めるんだろうし、ただ、若い時の人

気の名残りを惜しんでる人は寂しい思いと思い出を胸に地方劇場回りをするのかもし

れないし、その両方かもしれない。

人気がその成功度を計るすべてのバロメータと考えるなら、マスメディアから見放さ

れた者は気落ちした辛い境遇を生きる、ってことになるのかもしれない。

テレビで若い人気キャスターが先輩に昔言われたことが教訓になってる、って、それ

は、人間、辛い時には向上してるもんだ、って、うまく行ってて自分はけっこうでき

るやつだ、って満足を感じる時には下降してるんだ、って言ってるのを聞いた時、お

〜なるほど、その通りかもしれない、って感じたんだけど、すぐその後で、辛い、っ

てことと、向上、ってことの質が気になったのだった。

辛い、って時が例えば、人々から自分が期待するほどの量の支持が得られない、それ

どころか批判まである、ってような場合、それじゃ、人々の多くの支持を得られるよ

うに自分をすぐに変えて行こう、って考えるのがいいのか、自分が今信じていいと思

ってることを批判する人の真意はどこにあるのかつきつめても、それが自分が信じる

こととどうしても違ってると感じるなら、私は、とりあえず自分の信じるところを追

求する方がいいんじゃないかと思うのだ。その結果責任は自分で負う覚悟を持つ自分

の表現の自由を最優先する芸術家的立場ならばなんだけど。

(ただ、ここで問題なのは政治家だ、政治家には個人の自由な自己表現だけを許すこ

とはできないのだ、だって、いつも国民の代理、って立場があり、国民の意志を無視

してはならない、という原則があるのだから)

そうして、(政治家じゃなく)自由な表現を追求することが本意になれば、自分の気

持ちと目的は一致するわけで、どんなにそれがうまく行ってなくても、それは自分の

力不足が原因なのだから、それを充実させることに集中すればいい、ってことになる。

そうなれば、マスメディアに取り上げられようが取り上げられなかろうが、基本的に

自分の生活本体には無関係、ってことになるだろう。そうなると、向上心は自分との

戦いと同じ、ということになり、「辛い時」、も存在しなくなるのだ多分。




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