9/9のしゅちょう             文は田島薫

民主党の憲法改正案の不安について

集団的自衛権を行使しできればそれを拡大してもいい、と考えているらしい安倍政権が、

それのために憲法改正を目論でいたんだけど、アベノミクスの雲行きなどの関係でその時

期を先延ばしせざるおえない、って言うことで尖閣諸島などの緊急警戒の必要上、とりあ

えず現憲法の解釈によって最低限の集団的自衛権行使できることにしよう、って発言。そ

れに危機感を持った民主党が、それなら、その部分だけきちんと憲法改正で明文化した方

がいい、って文案を検討してるらしいんだけど、これは、またおっちょこちょいのやぶへ

びになるんじゃないのか、って心配がある。

専守防衛が絶対条件の日本の平和憲法が、解釈によって骨抜きになる不安はわからないわ

けはないんだけど、憲法、ってものは原則で行動を縛るものなのだから、拡大解釈にも限

界があるはずだし、そういった動きに対して否を唱える権利を司法も持ってるわけだから、

それについての心配はさほど不要なんでは。

安倍さんの主張は緊急避難的な防衛上の必要について心配してのことなのだろう。

そういう状況が果たして現実的にありうるんだろうかどうかの疑問はあるんだけど、例え

ばいつもそばにいて、だれかからの暴力的な攻撃に体を張って守ってくれる友人が、それ

に失敗したか不意打ちに遇い一方的に暴行されてる時、自分も武道の心得があるのに、そ

れを使わず友人を見殺しにしなくてはいけない、のか?ってような時、そこで武道を使い

友人を助けたとしても、正当防衛だろう、ってぐらいのことを。

それを、民主党は、自国の防衛についての必要最低限の集団的自衛権を認める、といった

明文化をする、ってことらしいんだけど、これだと、却って、その解釈を広げる危険性が

増すんじゃないのか。だって、専守防衛の縛りの中でのやむなく行使する集団的自衛権と、

集団的自衛権そのものを認めてしまうんでは、その自由度が違うのだから。

いくら検討して、こまごま条件をつけて、それなら正当なもんだろう、って見えたとして

も、それを認めることによって、どんな攻撃もつきつめれば自衛のための最低限のもんだ、

って言えるどこにでもあるようなもんになり、平和憲法の根幹が骨抜きになるのだ。

おっちょこちょい民主党は、尖閣問題でも、都知事の買い取り発言に軽く反応して、問題

を悪化させた前科があるのだから、われわれ国民は、自分を進歩的だと思い込んでる軽率

民主党をよくチェックしてた方がいいのだ。




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