4/15のしゅちょう             文は田島薫

上から目線の誘惑について

人ってもんはプライドに縛られてるもんだな、ってことがよく分かるのはかなり年を重

ねてからのことで、若いうちはなかなかそれに気づかないもんで、ささいなことで、相

手かまわずそれを犯したと感じた相手に怒りをぶつけるもんなのだ。それでもそういっ

たことはお互いさまで、だれでもそういう怒り、ってもんをいだく可能性があって、そ

れぞれがそれぞれの自分のプライドってもんがあるんだ、って気づけば、冷静に相手を

観ることもできるわけで、やたらに相手を怒らせたり怒ったりすることも減るのだ。

そういった意味では、若いうちに思いきり怒ったり怒らせたりして、それについて考え

る、ってことも人間理解のためには必要なことなのかもしれない。

それだから、若い時に済ませなければならないそういった経験をしてない大人に、問題

者を見かけることがある。

それはどういったことか、って言うと、自分のプライドを満足させることがいつも表現

の主題で、他人は自分を賛美したり認めたりする役割、って状況を作ろう作ろう、って

思う傾向で、と言ってもこういった気持ちはだれにでも少しはあるかもしれないし、こ

れだけで、いけないことだ、って言うことはないんだろう。で、問題は、自分のプライ

ドの中身がなかなか見当たらない場合、てっとりばやいのは、自分はすぐれた人間だ、

って態度で示そう、ってことで、他人を上から目線で見たり評価して見せることだ。

これをすると、自分でも、おお、自分は相手よりも高級な人物に感じるな〜、気分がい

いな〜、ってことになるんだろう。

で、これをやられた方は、反発できる者は、なにいいやがんだ、てめえにそんなえらそ

うなこと言われるすじあいはない、とかなんとか言えれば、バランスがとれるんだけど、

それが言えない立場、例えば、仕事上の上司に対してとか、内申書を書く権利を持つ担

任の先生に対してとか、経済的に頼らざるおえない相手に対してとか、だからその相手

の方はそういった立場の者に「つけこめる」強みが自分のプライドの在り処だと錯覚す

るのは愚かなことなのだ。あきらかに相手に教えるだけの価値を自分が個人の能力とし

て持っていてそれを端的に伝えるために多少えらそうな表現する、ってことだったら、

多分説得力があり相手は怒りを感じないだろうけども。

ところが、これはネットの政治的サイトの書き込みなんかに氾濫してるんだけど、自分

にたいした能力もないのに、ただ自分の方が優秀だ、ってばかりに頭ごなしに上から目

線で他人をばかにしたような発言をする。これを受けた方は怒るに決まってるのだ、北

朝鮮に対する日本の政治家も安倍さんをはじめ全員よく気をつけた方がいいのだ。




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