1/15のしゅちょう             文は田島薫

シンプル、ってことについて

世の中ってもんはそんな単純なもんじゃない、って子供は大人におどかされたり

して育ち、そう言い放った大人は、自分はなんて大人なんだろう、って自己満足

を感じたり、ってことがよくありそうなんだけど、本当は世の中、単純なもんだ、

って言うことも実はできるんであって、それはその主題のまとめ方によるのだ。

例えば、生き物、ってもんは生まれてから何かを食って生きてやがて死ぬもんだ、

って言ったらば、それにはほぼ間違いがないのであって、何言ってやがんだ、生

き物が生きる、ってのはとても大変な戦いの連続なんだ、そんな単純なもんじゃ

ない、って言うオヤジがいたら、それはただ生きる内容を評価したただの感想に

すぎないんで、じゃ、どう大変なんだ、って聞くと、そりゃいろいろだ、って応

えるしかないわけで、その都度、テーマを決めて感想交換するのがいいのだ。

で、その感想交換に意味があるかどうかは、それぞれの目的意識や志によるわけ

でただ、自分の個人的印象論をだらだら続けるのはただ楽しみを目的とした趣味

の小説や評論にでもまかせておけばいいだろう。

で、物事の表現ってものはすべからく単純が基本で、いわゆる「シンプルイズベ

スト」って言われることは本当なのだ。

世の中の事ってものはたしかに雑多なものの総合体なわけで、ぼーっと観たら、

渾沌でしかないかもしれないんだけど、それぞれを整理して観れば、それぞれに

それぞれの事情やら理由やら構造ってものがあるわけで、それを把握していくこ

とによって世界認識もできる、ってことになるはずなのだ。

とは言っても、雑多な感覚と生活環境の人間が同じように物事を感じたり考えた

りするわけはないので、それぞれの相互理解、ってもんも大切ってことになり、

それも、理解の限界、ってこともあって、それも含めたそれなわけで、そういっ

た構図を一瞬に理解させるためには、例えば、簡単に言うとどういった事、って

条件つきでもいいからできる限り単純に説明できるように、より条件とテーマを

しぼって単純化する必要があるのだ。もし、言葉だけじゃなくあらゆる芸術表現

においてもどうにも説明ができない、って当人が感じるなら、本当にそれを理解

してるかどうかや才能について疑った方がいい場合もある。

単純の反対は複雑、ってことで、そういった何かわからないことにも人は興味を

持つものなんだけど、それに、きちんと「意味」を隠してる時にこそ、その魅力

は増すんだけど、ただ意味ありげに複雑を装おうなら、それはやがて捨てられる

運命にあるはずなのだ。

物事の表現にはすべて意味があるのがいい(ナンセンスにも意味がある、って逆

説も認めた上で)のであって、もちろんその意味、ってことが自分でもよくわか

らないんだけど、意味がある、ってことだけは直感でわかる、ってことでいい。

例えば、音楽表現でも、私は曲のテーマを追究した独奏や小編成のバンドのが好

きなんだけど、それが大編成オーケストラになったとしても、それに必然性があ

るのなら、それはシンプル、って言っていいのだ。




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