8/20の日記          文は田島薫

物をかたづけてさいたまへ帰って来た

茨城で2週間ばかり両親の遺品の整理やら、初盆の接客などをこなし、またもや、いと

この車の世話になって帰って来た。

初盆の焼香客に今は酒など出さないで麦茶とお菓子でいい、って葬儀社から聞いたんだ

けど、「初盆は戦争」だっておどかされてたもんで、どうすんだって、近所の両親が親

しかった親戚にも昼食なんかはどうすんのか、私のきらいな寿司なんかとった方がいい

のか聞いたら、親しい親戚などにふるまうことはあるけど、みんな忙しくあちこちの初

盆の家まわるからいらない、って当人に言われたので解決。お菓子とお茶でも地域組合

は初彼岸の時にみんなで一緒に来たから、コップやら、お菓子やら大量に大皿ふたつに

分けて祭壇前のテーブルに並べておいた。香典返しも返品がきくというので、50ぐらい

?って聞かれたのを、じゃ100で、って用意。いっしょに渡す返品きかない別袋のお菓

子やビールは70用意。けっきょく、組合もひとりかふたりほどでバラバラに来て、客の

総計は業者も入れて計29人、麦茶は口をつけてもらえたものの、テーブルのお菓子に手

を伸ばした者はただのひとりもいなかった。

迎え盆の日に妹とその娘が来て、送り盆の日に帰ったんだけど、その間、客が来るたび

に家人と私と4人で出迎え、たんびに家人らは麦茶を出し、自分たちの分を1〜2点づつ

抜いた後の両親のしろうと絵や書を床の間に集め、よかったら、って勧め、女性には、

おふくろの装飾品もテーブルに並べ勧めた。

おふくろの掛け軸などは勧めるとたいてい喜ばれたのに、おやじの絵は大体パスされた。

最初来た組合員は、親父の絵をパスして、私の勧めのまま、額に入った金ピカの種子島

銃の方をうれしそうに持ってった。

妹と相談して両親の住居は売却することにして、その手配は私より機動力のありそうな

妹にまかせたところ、おおふくろの親友である近所の名士の家の奥さんに不動産屋を紹

介してもらおう、って言うんで、いっしょに自転車で出かけた。でっかい柱で重厚にで

きた広いお宅に行き、電話番号などを紹介された後、住居内を案内されたんだけど、彼

女の義父や息子が大臣をやったお宅には、鳩山一郎や岸信介などの大きな書額があった。

少し迷った後出直した私は奥さんにしろうとおふくろの掛け軸を形見にと届けた。

帰る時、11月にやる両親合同の1周忌が最期で、もう、ゆっくりここへ来ることはなく

なるんだな〜、って考えてたら、家人も、みんなが盆や正月に集まる場所なくなっちゃ

ってい〜のか、って言い出した。




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