7/2のしゅちょう             文は田島薫

(人生と時間について)

去年の晩秋から今春にかけて相次いで私の両親が亡くなり、それまでやその後のなじ

みの有名人たちの死もやたら多く感じるのは、私もそういった時期の近づいた世代に

なって来たせいなんだろう。

後で亡くなった人々の気持ちを考えてみると、だれもがたいていはそんなふうに死ぬ

つもりはなかったらしいことがわかって、余計身につまされるのだ。

いろいろ来年や何年後の計画を立ててたり、後で使うつもりの物を買いそろえていた

り健康食品を取り続けてたり、まだ死ぬつもりじゃなかったのに、って時に、寿命で

すよー、っていきなり言い渡されるのが多いようだ。

それでも、健康に気をつけてれば寿命がのびる確率は高いわけだから、せっせとがん

ばるのに越したことはないだろうけど。

高齢の90過ぎになる画家の友人がいるんだけど、彼が今の私ぐらいの年令の時、忙し

い忙しい、って人生でやらなけりゃいけないことをやるのに時間が足りなくなって来

た、ってしょっちゅう言ってた意味が私にもわかるようになって来た気がする。

人それぞれでそういった人生でなんとかやり遂げたいテーマは違うだろうけど、彼が

やらなくては、って言ってるのは金を稼ぐような一般的な仕事のことではなくて、自

分の創作活動のことなのだった。

死ぬまでに後何回食事ができるだろう、って考える人にとっては、世の中の珍味やう

まいものをことごとく味わいたい、ってことが目標になるんだろうから、それはそれ

でいいとして、食べることが他の自分の生き甲斐をするための生命維持のため、って

考える人は、食べる時間はなるべく簡略に、って思うかもしれない。

とにかく、日常生活で衣食住をこなすだけでも相当な時間を要するわけなのだから、

生活費をかせぐための仕事の他に、自分のための時間を作るのはけっこう大変だった

りすることも多いのだ。

毎日なんだかわけのわからない部屋の模様替えや掃除なんかしてるうちに、人生の時

間が後わずか、ってこともあるわけで、しかし、その部屋の模様替えや掃除に生き甲

斐を感じる人にとってはそれで問題ないわけだろうし。

けっきょく、自分にとって、大事なことかどうか、って常にチェックしつつ時間を使

うのがいい、ってことになりそうなんだけど、もっといいのは、ごく普通の雑多な日

常生活のすべてをいつも感謝と喜びで味わえる人になることだ、なんて聞いたふうな

結論で、あなたの貴重な時間を浪費させまして申し訳ない。




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