6/25のしゅちょう             文は田島薫

(人のとりえについて)

人の能力、ってもんは千差万別でわかんないもんだ、ってことが歳くってきたらます

ますわかってきた気がする。子供ん時などは自分のことばかり見てて、けなされれば

自分は無能で最低なやつだ、って思ったし、誉められれば自分は天才なんだ、って思

ったし、世の中の重要な価値ってもんの一番は、自分が好きに思ってて誉められる絵

(自分の絵に納得してたわけじゃないけど)に間違いないなどと思っていた。

やがて音楽の素晴らしさに目覚め、それを創り出す人の能力が世の中の一番重要なも

んだ、って感じたりした中高生を経て、相当知恵遅れな私は、あれ?世の中けっこう

いろんな要素によって運営されてたんだな〜、ってことに気づき、やっぱり一番は、

世界を認識する社会思想か、なんて感じたり、基本は経済だな、おっと、科学の力こ

そ人間進歩の象徴か〜?やっぱり、人間ってもんの本質を追究する文学も捨てがたい、

ってことになり、けっきょくどれもこれも重要ってことになった。

けっきょく、人それぞれ能力のジャンルってもんがあり、得意な分野が分かれててそ

れぞれにすごい能力を持った人がいくらでもいるわけで、それを、日常的に出会った

りする人から実感することも増えて来るのだ。

どこにでもいる平凡なおばさんやおじさんやねえちゃんやあんちゃんに見えるのが、

実は超能力のような目にもとまらないそろばん暗算の達人だったり、機械もかなわな

い超精密部品手加工技師だったり、国体の選手だったり、それほど大げさじゃなくて

も、カラオケでだれもが認めるすごくうまい歌い手だったり、町内一のスポーツセン

スの持ち主だったり、名料理人だったり、かせいだ金のほとんどを慈善事業につぎこ

んでる実業家だったり、貧乏なのにすぐ人助けやボランティアに奔走してしまう奥さ

んとか、こんな面倒なこと、自分じゃとってもできないし、やりたくないな〜、って

ことを平然とやってる人は、確実にそれの能力を持ち合わせてる人のはずなのだ。

自分には他人とくらべて何かとりえがあるか考えてみてもいいし、そんなこと考えな

くても、自分で抵抗なくやれる好きなことがあれば、とりあえず、それはひとつの能

力と言えるだろう、それがどう見てもそれほどたいしたもんに見えなくても、好きな

ら続けられるし、続ければ確実に努力に応じた進歩はするもんなんだし。




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