5/14のしゅちょう 文は田島薫
(分相応について)
分相応、って言葉は、身分や、能力、財力、その他、あらゆる意味で自分の身の丈に
あった無理のない生活をする、ってことなんだけどこれは結局そうすることが心身の
健康のためにいいってことなんだ、って私は解釈してるわけで、いわゆる、見栄を張
る、ってことは身のためにならない、ってことだ。
って、言い切ってしまったんだけど、これは一般的な意味でのことで、いくら端から
見て、あれはあいつには分不相応だろう、って見えても、当人がそんなこたない分相
応だ、って心から感じてたり、または、今は少し背伸びだけど、自分はそのレベルま
で行くことがふさわしいしそれを望んでいる、って言うんであれば、その背伸びや見
栄さえも楽しむことができ、現実とのギャップからくる苦労も苦にならないだろう。
そういう人はそれが向上心のきっかけや、それの目的そのものになったりするわけだ
からそれでいいだろう。
問題は(ちっとも問題じゃないのかもしれないけど)、その分不相応を心から楽しむ
ことはできないくせにただ流れの中で無自覚に無理をする人、ってことなのだ。
例えば、鰻やのメニューで特上・上・並のランクがあると、思わず上、って言ってし
まって、並ならちょうどいい量だったのに、食べきれないで残したり、または、内心、
高いの頼んじゃったから腹いっぱいになったけど無理して食っちゃおう、って食っち
ゃったり、どう見ても材質や仕立ての差が分からない何10倍も高価なブランドのバッ
グを買ったり、これも、気にいった高級品を身につけることが何よりましてうれしい、
ってことならいいのかもしれないけど、ただ、他人より安いの持ちたくない、ってだ
けでそうするなら虚しい(けど、これもあってかまわない)。
金持ちは、例えば、高級品やブランド品を値段も見ずにどんどん買ったとしても、後
でもたいして当人のストレスにはならないだろうし、そうすることが市場経済効果も
あるだろうから大いにやればいい。
一方、貧乏人は、借金してまで高いもの買わない方がいい(大きなお世話だけど)。
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