5/1のしゅちょう             文は田島薫

(信用について)

われわれの日常生活の中の人間関係で、仕事でも私的な場面でも、何かの物事を一方

が別の一方に提言したり断言した場合、それについて信用できるかできないか、って

ような判断をしたりせまられたりすることがよくある。

和を尊ぶわれわれ日本人は特に、初めて会った人にさえ、私を信用できないのか、っ

て言われると、なかなかそうだ、って断言できない傾向があるようで、仕事上の契約

で莫大な金額の動くような仕事では契約書をかわしても、それほどでもないような仕

事をもらう場合、出す側に契約書を要求することをしなかったり、それをあえて要求

した時、された側がやっぱり、当方を信用できないのか、などと感情的になられたり

するような傾向がよくあるようだ。

こういった傾向は、よく考えたらおかしなことで、仕事上での金銭取り引きについて

は、多様な社会情況の中で何が起こるかわからないわけで、あくまでも、可能性につ

いての賭け、といった側面がいつもあり、個人の性格や信念、正義感といったことで

はどうにもならない情況が起こりうるわけなのだから、私の目が嘘をつく人間のもの

かどうか、ってせまるようなことは馬鹿げた振る舞いなのだ。

ま、そういった日本人の特性につけこんだ詐欺も横行してるわけだから、そういった

ものの存在を信じたい、それこそ個人的には信用されるべき人の方がよく騙される、

って矛盾が起こるのだ。

利害のからむ仕事の方は、そういったわけで個人的要素で判断するのは難しいんだけ

ど、こと、言動などにおいて、本当のことを言ってるかどうか、ってことでの信用、

ってことに限ると、これはその個人が長年積み上げてきた「いつも正直だった」って

いう事実に頼る他ないだろう。いくら、今回は本当のことだ、って当人もわかってい

てそれを主張しても、当人がふだん嘘を言っていたり、ふだんからしょっちゅう勘違

いしてるなら、今回だけは本当、って主張しても難しいだろう。

真面目につき合ってる人間同士でさえ信用を求めるには重い努力が必要なのだから、

ましてや、見ず知らずの人間を信用するとかしないとかは、まずナンセンスなのだ。




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