10/9のしゅちょう             文は田島薫

豊かな時間について

歳を取るほど過ぎて行く時間が早く感じるようになる、ってことはだれでも実感し

てることだと思うけど、私もそれは常に感じていて、できるだけ、あ〜、いい時間

を過ごした、って思えるような日々を送りたいもんだ、って考えているんだけど、

後で考えると、あまり感心したりしないテレビバラエティやらドラマやらニュース

なんか見て時間つぶしてしまったなあ、ってことが多い気がする。で、できるだけ

心して本や新聞を読むんだけど、それでも、ああ、よかったな〜、ってことは、ま

れにしかない。で、考えるに、豊かな充実した時間、ってもんはどういったもんの

ことだ、って言うと、多分、心身がイキイキ働いてる時、って言えるだろう。だか

ら、ぐたーと体を動かさずに退屈なテレビなどを見てる時のことでは多分ないのだ。

じゃ、体を動かさないことはいつも充実した時間ではないのか、って言うと、そん

なこともなくて、目一杯運動や仕事をして心身をクタクタにさせた後、何も考えず

に体を横たえて休む、ってことは充実感があるはずで、証拠に、体も気持ちもなん

とも心地いいだろうから、結局、心身が心身を健康に保つためにその時一番要求し

ていることをするのが、豊かな充実した時間となりそうだ。

それで言えば、テレビだって、心から楽しんだり学んだり新鮮な感動を得られる場

合は豊かな時間と言えそうだし、携帯だってパソコンだって、なんだって充実感は

得られるんだろう。しかし、体も頭もよく働いてれば、それで豊かな時間、って言

い切るのはどうかな、ってこともあるのだ。

だって、それなら、いろんなパソコンゲームだって、いろんなギャンブルだって、

楽しんで夢中になれるもんはなんだってそれで豊かな時間だ、ってことになるのか。

例えば長期間それだけに没頭したとして、人生の残りわずかの時、ああ、おもしろ

かった!ゲームにささげた私の人生、悔いはない!、って言えるならそれでいいだ

ろうし、ゲームやギャンブルの奥深さを私は知らないのかもしれないし、そんな大

げさなもんでなくて、他の充実した仕事などで過ごす時間があり、それの合間の気

晴らしや気持ちのリフレッシュだ、って立場もあるだろうから、ここは、私の考え

た豊かな時間というものの条件、ってぐらいの話として。

ゲームやギャンブルの研究をしてて、そのメカニズムを捉えたり、新しいそれを開

発する、っていう人なら別だろうけど、ただ、自分なりにそれをうまくなりたい、

って立場でがんばるのなら、それらの開発者の想定内のただのプレイヤーってこと

になるわけだから、自分が自分である実感はわずかなはずで、そうじゃなく、自分

の頭で問題を感じたり考えたり練習したり自然や人と生で対話したり、かけがえの

ないたったひとりの自分(そんなたいそうなもんでなくても)、ってもんを深く実

感できた時、豊かな時間と感じるんではないかと思うんだけど。




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