(自負心について)
このほど芥川賞を受けたふたりのうちのひとりが、受賞会見で、自分が受賞する
のは当然、4度も選考で落とされたんだから断るのが礼儀だけど、もらってやる。
って言って話題になっている。
これは不遜にも見える発言なんだけど、各関係者にも概ね好意的に受け取られて
いるようで、私もそれに嫌な感じは受けなかったのは、やはり、その自信を裏付
けるような、彼の20年にわたる一日も欠かしたことのない執筆ひとすじの日課、
といった話や、もちろんそんなこと知らなくても、無数の作家志望者がみんな大
変な苦労をして挑戦している事実を少しは知ってるせいなんだろう。
受賞会見なども、話題を集めた方が宣伝効果もあるわけだから、主催者としても
よりおもしろい方がいい、って部分もあり、それを彼が無意識に計算した、って
考えることもできるんだけど、彼の真摯で本気のいらだちを見れば、ただ、受賞
が決まればもう賞は自分のもの、相手から、そんな無礼なら返してもらう、とは
まさか言われないだろう、もう言いたいこと言っちゃう方が精神衛生上いい、っ
て考えたのかもしれない。大きなお世話だけど。
ま、どう考えようと、なにかに成功し評価された人物が、自分は偉大なことを成
し遂げた、って自分で言うより、いや、まだまだです、って謙遜する方が日本人
の気質には好印象を持たれる傾向がありそうだけど、いずれにしても、そういっ
た人はどっかに自信めいたものが出てしまうもんだろうから、それを隠したよう
に、いえいえ、などと言えば、ほんとかよ、ってちょっと背中が落ち着かない感
じがすることもあるし、それだったら、正直に、そう、自分でもよくやった、っ
て思ってます、って言う方が聞く方もすっきりすることもある。
けっきょく、大事なのは、その成果がどういった努力や才能の結果生まれたもの
か、ってことのわけで、どう考えたってたいしたもんじゃないだろう、ってもん
なのに、えばってたらみっともないだろうけど、自分はだれに恥じることもない
ほどがんばったとか、自分の才能はどうやってもこれだけだけど、自分じゃ最高
だと思ってるんだ、って本気で思うなら、他人がどう思おうが言おうが関係ない
わけで、その思う通り自分を思いきり誉めたらいいだろう。それで、進歩がそこ
で止まるか止まらないかは、その後の問題だろうし。
もちろん、本気でまだまだだ、って思ってる人の気持ちも、本当ならそれもいい
んだろうし、多分、本当かどうかが大事なのだ。 |