1/16のしゅちょう             文は田島薫

(人を嫌う、ってことについて2)

3年ほど前に同じテーマで書いたんだけど、その時の要旨は、人を嫌う、って感

情を持つのも人間の自然なのだから、抑えつけたりせずに、それと素直に向き合

い、自分がそれをされた時も、直せるところは直し、直せないところは、自分の

責任ではなく、嫌う様々な各自の理由もあり、おたがいさまにどこにでもありう

る仕方ないことだと考えるのがいい、ってようなことにした。

今回は、ことさらそれをわざわざ表現する側の問題点について。

人を嫌う理由はそれぞれなんだから、その感情を持つのは自由としても、だから

といって、それをいつも誇らし気に表現するのは、どうもそれに自分の無意識の

優越感を示す場合が多いので気をつけたい、ってことがその要旨。


きのうのテレビバラエティを見てたら、番組の流れもあり、それがおもしろいこ

とだろうと勘違いした若い新人女性タレントが、お笑いのだれかについて、嫌い

だ、って公表してたんだけど、生理的に嫌、ってようなことで、それはそれで正

直な感想なわけなのだろうから、そのことだけで彼女を非難する必要はないのだ

けど、それを言う自分が、相手よりもそのことにおいて、例えば、清潔さ、とい

ったことに自信があり彼を糾弾する権利がある、とでも信じてる風なのだ。

百歩ゆずって、ほんとはそれほど嫌ってる、ってわけじゃなくて、ただバラエテ

ィをおもしろく盛り上げられる、って思っただけだったとしても、彼女が忘れて

いけないのは、糾弾される側の気持ち、についてなのだ。

冷静な感情感覚を持ってれば、言われた側のそれを感じずにはいられないはずで、

それをおもしろい、って感じるのは想像力の未発達な子供だけなのだ。

私自身にも、そういった経験があり、冗談でだれかを嫌いだ、って言ったことが

あったんだけど、やぱり、気持ちのどっかがしっくり来なくて後悔したことがあ

った。例えばそれにはっきりその理由があって、例えば、嫌いな理由は、あんた

のことを考えると、愛しさに胸がつまってごはんが食べられなくなり身体にわる

い、って、ような、フォローがあるとか、当人がやってて自分でも意識してるほ

どの悪事があるなら、言われた当人も、そりゃそうか、って納得できるだろうけ

ど、それなしで、むしずがはしる、って言って、本気の顔のまま一切のフォロー

がないなら、言われた相手はただ単に不愉快なだけだろう。

ま、すぐに気がつかないでも、相手になんらかの問題点を気づいてもらいたいか

らだ、って言えば、それは相手によくなってもらいたい、ってひとつの思い遣り、

って場合もあるだろうけど。そういったことがないなら、単なる価値観や感性の

違い、ってことになるんだろうから、嫌いだと思ってもほっとくか、伝える時も、

事実だけを謙虚に表現するとかした方がいいだろうし、言われた方としてだって、

気にし過ぎないで、ほっとけばいいのだ。

で、けっきょく、どうでもいい、ってことで、最初に書いた時の論旨といっしょ

になってしまったようだ。

さっきのテレビバラエティの例では、そのお笑いのだれかは、ちゃんとそれをわ

かってたようで、さすが、人をいじりいじられるプロだ、って感心したんだけど、

そのへんのかつての弱さをかかえた私自身は、けっこう、その新人タレントの勘

違いに感情移入して、はらはらしてしまったのだった。




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