1/11のしゅちょう             文は田島薫

(かっこよさについて)

何をしたいかや、どう人の役に立つ人間になりたいか、ってことより、とにかく、待遇の

いい大きな会社に就職することが第一、ってほとんどの人が考えてるような、金をかせぐ

ことが一番大切なことで、それをより多く成し遂げた者が人生の成功者として、みんなの

あこがれ、ってように見えるわが日本。


その中で、不景気の影響が国民の低所得者や無収入層に厳しく吹き荒れ、自分ぐらい貧し

くて不幸な者はいない、って感じてる人が多い今の日本。金がなければ、もう人生の敗残

者になったような気にもなり勝ちになるのも無理もないだろう。

しかし、冷静に考えてみれば日本は、一応緊急援助施設もあり、食べて寝て、って人間が

最低限必要なことさえ、どうにもならない、って環境ではないわけで、過去の時代には、

ごく普通のまじめな国民が本当に食べるものがどうしても手に入れられず餓死することも

多くあったわけだけど。

しかし、援助施設に援助を頼むといったことが、恥ずかしいことのように考える人々も多

くいるのは、まさに現代の金持ち至上主義的価値観によるのだ。

ほんとうにかっこいいことはただ金を持ってることなのだろうか、ポルシェを持ってそれ

を乗り回すことなのだろうか。金を持ってることは、なにか事業などで成功したからだっ

たとして、その事業がほんとに人々に役に立つものだった時に、それがかっこいい、って

ことになるわけで、ただ父親からもらったり、だれかをだましたりして得た金をたくさん

持ってることがかっこいいとは、たいていの人が思わないだろう。

だとすると、かっこいい、ってことは、金を持ってるかどうかとは無関係なことなのだ。

歴史上の偉大な事業家や芸術家の多くは極貧な環境から身を起こしたのだし、芸術家の方

はやっぱり生涯極貧のままだった者も多い。書や歌に無二の才を示した良寛なども、食べ

物のすべてはたく鉢によっていたし、寒い冬の粗末な小屋に住む良寛に、一夜の宿を頼ん

だ旅人を受け入れた時、出す食べ物はなにもなかった、ってこともあったらしい。

私の友人はだれかにもらったボロボロの車を自分で修理して乗ってて、先日も、普通なら

あきらめちゃうようなエンジンと電気系統の故障も自分ひとりで直しちゃったらしい。人

に全部整備してもらったポルシェの新車をただ乗ってる人と私の友人、どっちがかっこい

いだろう?やっぱりポルシェ、の方、って?




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