4/4のしゅちょう             文は田島薫

(元気について)

あんな災害があって連日報道されてるのをテレビなどで見続けてると、疑似体験で自分も

被災したような気分になったり、亡くなった人たちの恐怖や苦しみや悲しみが気持ちの中

に入って来ちゃったり、ってことがあるらしい。私のように鈍感な者でもなんだか気分が

落ち込んで来たりするんだから、優しさと感受性の強い人なんかは耐えられないぐらいの

辛さを感じてるかもしれないのだ。

そういう気持ちを共有できることは、被災者たちにとっても、慰めになるんじゃないかと

も思うんだけど、いくら、われわれがそういった気分でいたとしても、一番辛いのは、被

災者当人のはずで、もし、ことさら同情心を強調すれば、却って気持ちは伝わらないこと

もありそうだ。

かといって、やたら元気に、被災者に向かって、大丈夫、がんばろう、って叫ぶのも、う

るさいんじゃないか、って気もする。

かといって、ここは黙って、気持ちをできるだけ同じにしてじっとしてればいいかも、っ

て考えても、それも、ちょっと意味はない気もする。

とにかく、考えてなにかフリをする、って言うことは無効だ、ってことで、正直にしてて

も、感じてることは感じてるわけだし、黙ってても伝わるものは伝わるんじゃないかと、

被災者にできることはないか、って考えて、義援金やなにか送る人もいいだろうし、現地

で黙々とボランティアする人も本当にエライ、って思うし。

ただ、悲しそうに同情した顔してなにもしないなら、たいした意味はない、って考えて、

それなら、ふつうに仕事や経済活動に参加したりして日本経済を活気づけて、その余剰が

被災者の補償に当てられるならそれもいいはずだ。

被災者の中には亡くなった家族がいるかもしれないけど、だからといって日本じゅうが悲

しみに沈んでいるのを、生き残った被災者が喜ぶとも思えないわけで、人はだれだってい

つ死ぬかはわからない運命を背負ってるのだから、そうなったらそれは仕方ないとあきら

め、生き残った者はそれを幸運とし、生きる使命を負った、って考え、できるだけ元気に

生きる方がいいに決まってるわけなのだ。

花見をやってる人に、この非国民!、って叫んだ人がいたらしいけど、そういった画一的

意識は、いいようでいて、被災者にも多分あまりいい評価は生まないはずなのだ。




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