5/30のしゅちょう             文は田島薫

(今ここに、ってことついて)

数カ月ぶりに横尾忠則さんのツィッターを読ませてもらったら、40年前彼が米国に半

年ぐらい滞在した時に出会った「Be Here Now (今ここに)」って言葉に強い共感をし、

それ以来ずっと自分の行動原理のような言葉になってる、っていったようなことを書い

ていて、昨日の新聞の読書案内でも、だれかの同じ趣旨のタイトル本を紹介していた。

横尾さんは最初それを漠然としてとらえていたのが、イラストレータから画家に転身し、

絵を描く作業を始めた時に、それをより深く認識したそうだ。

過去も未来もなく、今という時間がすべてて、その創造活動の中の瞬間瞬間にすべての

ことが含まれ、瞬間と永遠が同じだと感じる、ってようなことを書いていた。

私も油絵に没頭した時期に感じた感覚、時間軸や価値観や記憶などが同時に交錯するよ

うな充実感を思うと、その言ってることがよくわかる気がするんだけど、それは、その

作業に、その時の自分の感性が調子良かったり、才能の発揮ができてる時には言えても、

どうにも行き詰まった感じの時にはなかなかそういった境地には行けない気がした。

ま、それについては、絵、ってものに力み過ぎてしまうことがいけないのかも知れず、

それを解放する無意識が働くのか、私は落書きのようなことばかりやってるわけなんだ

けど、ま、そんなに構えたことではなくて、なんでもない日常生活でも、その言葉の持

つ「考え方」はあてはまる気がしたのだ。

生きる、ってことは今がすべて、ってことは間違いないはずで、過去や未来はいくらリ

アルに感じたとしてもイメージの中にしかないのだし、それらを充実させて来たり充実

を感じられるのはその時その時の「今」だったり、今の「今」なのだから。

だから、今、の大切さを忘れてはつまらないわけで、そりゃ、今、やりたくないことで

もやらないと、生活が成り立たない、って場合もあるだろうけど、そういった状況での

「今」であっても、充実させることはできるはずだろう、例えば、座禅のようなものや、

苦行のようなものに人間は充実感を感じられる可能性があるのだし。

ま、そんなに力まなくても、なんでもない日常で、イキイキと五感を解放でき、生きて

いられる今の瞬間に感謝できたなら、その時きっと、充実を感じられるはずなのだ。




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