11/7のしゅちょう             文は田島薫

(ギャンブルの本質について)

ギャンブル好きは多い。不景気でいいこともない、って感じてたり、金はあっても、

どこか退屈だ、ってような生活に刺激をもらえる、ってことでなんだろう。

ここでいきなりの結論を言うと、ギャンブルは遊び、だ。

ギャンブルには、探究心やら、偶然性やら、ひょっとすると目眩、といった遊びの要

素が複数含まれてるわけだから、ファンが多いのも当然だろう。

遊びなんだから、休日の何時間かを、小遣いの一部を使って楽しむ、ってことでなん

の問題もないわけなんだけど、時々それに生活のすべてを注ぎ込んで破たんするよう

な人が出てくる。こうなっちゃ、どう考えても悲劇だろうけど、逆にそれに大勝ちす

れば天国、ってのもあって、どちらもドラマで、楽しむのならわるくないだろう。

当たり前のことを言ってるわけだけど、ギャンブルを最初から負けるつもりでやる人

はいないだろう、勝つかもしれないと思うから熱中するわけなんだけど、負ければ悔

しいし損も取り返したい、今度こそは、って思う悪循環も起き勝ちなんだろう。

負けた時、その悔しさを全部引き受け、ギャンブルとはこういうもんだ、勝つ時もあ

れば負ける時もある、負ける時の方が多いのが普通だ、って考えられればそれはそれ

で人生の深みの味わい、ってことになるんだろうけど。

ところが、これが、一般社会活動でされた時、例えば、我が社の業績が思わしくなく

このままだとじり貧だから、ここはひとつ、他社に投資して一儲け、その資金でひと

事業やろう、なんて社長がいたら、社員たちは非常に不安定なギャンブルに強制参加

させられることになるわけだ。

投資家や証券会社はまさにギャンブルが日常で、これが当たれば大儲けの我が世の春、

って証券会社はそれでも、リスクは顧客に、ってことで手数料をかせぐことを基本に

してるわけだけど。

手持ちの軍備は万全だし、これで負けることはない、ってふんで戦争をしかけ失敗し

たベトナム戦争の米国、こりずに、アフガン、イラク、とやって失敗続き。

ギャンブルには相手がいて、相手だって負けることは好きじゃないのだから必死で、

勝算あり、と思ってても負ける場合があるのがギャンブル、これが、遊び、のうちは

シャレで済むけど、実社会では、負けても勝っても悲惨な犠牲者が出るわけで、そん

なことに無頓着な層が、あれ?今回はだめか、じゃ、次回こそは、って例えばいろん

な戦争をしかけたりするギャンブルには巻き込まれないようにしようわれわれは。




戻る