(乱暴者について)
言葉の乱暴者って自認する立川談志が10余年にわたる喉頭癌闘病の末亡くなった。
闘病期間中も声の出せなくなった最期の何ヶ月を除いてずっと「毒舌」を吐き続けて
愛されていた。「毒舌」といっても、ただ単に人を貶めたり虐めたりしたわけでない
から凡人がそれを真似するのとわけが違うし、なにせ言うことは少し乱暴に聞こえて
も、一理ある、ってことが多いし、第一、その本職である噺についての努力や実力や
将来のそれのあり方といったことへの見識、といったことの当人の自覚と自信に人は
敬意を感じないわけにはいかないし、それでますます言葉も力を持つわけだから、彼
が万人に愛されて当然だったのだ。
もっとも、先の師匠である小さんのように、一般的な常識的礼儀作法を重んじる先輩
などには不評だったようだけど、そんなことは常識人なら思わないことになってるし、
仮に、心に思っても口に出すもんではない、ってことでも平気で口にした。
結局、そういった世間のしがらみに縛られない心の強さが、彼の自由な発想と創造性
をのびのび育てたんだろう。
じゃ、乱暴な口をきく、ってなかなかいいことなんだな、って、さっきも言ったよう
に一般人が気ままにやってしまうと、私自身も大いにしでかしたことであるんだけど、
人を傷つけたり、ただの無礼者め、って怒られるような失敗をすることになる。
それが許されるのは、実力が認められた芸術家や芸能家または科学者やその他、社会
的成功者だけであり、乱暴な口ききを大きくフォローする社会的貢献があってのこと
なのだし(もっとも、芸術家や芸能家については、人のためにはならない、って言わ
れたりするけど、それを真に受けて自分と同じだ、と考えてはいけないのだ)、たい
てい、その乱暴な口ききにも深い目的があり、仮にそんなものが全然なかったとして
も、人には、なにか意味があるはずだ、って深読みしてもらえるのだ。
いずれにしても、立川談志って人の「毒舌」ってもので触発されることがあっても、
それによって傷ついた人はいないようだ、って事実を見れば、乱暴な口きき、っても
んは、仮に一般の凡人がやったにしても、一概にいけないもんだともいいもんだとも
言えないような創造性の根を持ったもんだと言えそうだ。ところが、これが腕力によ
る乱暴となると、どんな理由であっても、たいがい、それがいいもんである、と言え
ない場合の方が多いのだから、一緒にしてはいけないのだ。 |