11/21のしゅちょう             文は田島薫

(日本の冠婚葬祭について)

親父の葬儀を済ましたとこで、地元組合の人々や、葬儀社の人々、坊さん、その他の

人々のお世話になり感謝してるとこなんだけど、こういった儀式は、あらかじめ決め

られた作法で行われるため、それに従いさえすればそれほど心身を煩わせずに済む利

点はあり、無宗教の上、密葬でいいと言っていた親父の意志と、それでも地域のつき

合いにみっともなくないよう、って最低限のおふくろの希望をいれて、葬儀の規模も

家庭葬レベルにし、近所の組合がよく使ってるってだけの理由で、葬儀社の他、寺も

田島家の本来の真言宗から、曹洞宗のそれにまかせとり行った。

葬儀社の人々も誠意を持ってよく働いてくれたし、その設備投資や、時間の不規則な

過剰労働のこと考えると、それほど楽な商売ではないと思うし、坊さんだって、ボロ

ボロの本堂を修繕するには、私のように最低ランクのお布施じゃなかなかだろうし、

みなさんに同情もあり、そんな中で、なかなか簡素でいい葬儀になったと思うんだけ

ど、それでも私としては、世の中、もっと大変な人も多くいるわけで、もう少し簡単

にはならないものか、って感じてしまうのだ。

これは私の個人的感想であって、中にはこういったものはできるだけ大掛かりにやっ

て時間や金をふんだんにかけた方が故人の供養になる、って考える人もいるのだろう。

そういう人はそのようにやったらいいと思うんだけど、それにつきあわされる、それ

ほど時間的経済的に余裕のない人には障害になるだろう。

ま、だったら、そんな葬儀なんか全くやらずに火葬してどっか共同墓地にでも埋めて

しまうとか、灰にして山や海にばらまくとかの方法もあるのかもしれない。

しかし、一般葬儀の風習から即座にそっち、っていうのも、世間体や、自分の気持ち

に思い切れない人も多いことだろう。

大雑把に言えば、欧米では、結婚式や葬儀はもっとシンプルで、開かれてるようだ。

ごてごてした祭典飾りやパフォーマンス、長々した関係者挨拶、祝儀や不祝儀や引き

出物や香典返しみたいなもんはなさそうだし、葬儀なんかは、墓地に埋葬する時、親

族友人がただ集まり、神父などのお祈りを聞くだけ、ってように。

我が国の(アジアの他国も同じかもしれないが)仏式葬儀、流れにまかせたら、初七

日、四十九日、初盆、一周忌、三周忌、その他で、その都度、坊さんが読経したり、

隣人に香典を出させたり、お返ししたりすることも多いわけだけど。

もっと人々が気楽に故人を忍ぶような形はないものだろうか。




戻る