(浪花節政治家の限界について)
私はどじょうだ、って言って自分の苦労を強調し、だから人の痛みもわかる、って演
説し首相になった野田さん、多分、そばで色んな人が自分の苦労を語ると心から同情
するような性格の人物なのかもしれない。
しかし、どんな人でもじっくり話を聞けばその人にはなんらかの苦労はあるもんで、
それをいちいち同情しちゃその対処をしてあげる、ってことをしていたら聞いてる方
のたいていの人は身も心の安定も続かないことになるはずだから、もし、それができ
る人物なら、相当器の大きい“大親分”にちがいない。
じゃ、政治家がそういった“大親分”ってことでいいのか、って言うと、ま、そうい
うタイプがいてもいいのかもしれないけど、さらに、じゃ一国のトップリーダー、っ
てことだったらどうか、って言うと、ちょっと問題だろう。
なぜかと言えば、一国にはさまざまな境遇の国民が暮していて、その隅々まで目を配
り、その中のより不遇な国民から救って行こうとするなら、国の経済構造、社会構造
を熟知し、問題点を把握しておくことが必要なのだけど、ただ目の前に現れた人物の
都合に同情してるだけでは、時間の浪費ばかりで、国民の大多数を救う問題解決まで
になかなか行き着くことはできないだろうからだ。
それに、どんな人間にもそれなりの同情すべき苦労がある、ってことなのだから、常
に近くでつきあう人物に同情することが多くなると考えられるわけで、例えば、政策
をする場合に、国民の福祉について十分考えなければいけない時に、決断すべき要件
が多く忙しい首相などは、例えば、経済界の都合を優先したデータ作成をした役人の
苦労に同情してしまったり、必要以上にそのデータを信頼してしまうかもしれない。
けっきょく、狭い自分らの環境の中だけの結論がすべて正しいと錯覚し、忘れ去られ
た膨大な国民がとんでもない不幸なまま置き去りにされてることに、ちっとも気付い
てない可能性があるのだ。
ま、野田さんがそうだと決められるかどうかわからないんだけど、そういった親分型
のリーダーには、直接お願いすると効果があるから、当事者はどんどんやったらいい
だろうけど、これだと、常に本当にそれが必要な人だけがみんな救われるかどうか、
ってことや、ずる賢い者も多く混じる懸念もあるのだ。 |